エッカパラドキシデス・プシルス

──あなたはレドリキア派? それともオレネルス派?
──パラドキシデス派です。

分る人にしか分らないボケだが、こういう人は意外に多そうな気がする。レドリキアにもオレネルスにもあまり関心がなくて、パラドキシデスだけが好きっていうのがね。

さて、今回手に入れたのはチェコのエッカパラドキシデス。これが前から欲しかったんですよ。でもなかなかこれといった標本が見つからない。今回のもそれほど保存がいいわけではないが、全体の感じがなんとなく毅然としていてカッコいいのが気に入った。値段も安かったしね。


Eccaparadoxides pusillus (L.38mm)


チェコカンブリア紀三葉虫は、外殻が溶けてしまって内型(internal mold)だけが残っているのが少なくない。しかし今回のものは、黄土色の外殻がかなり(九割くらい?)残っていて、ちょっと得をしたような気分だ。フリル部分に通常見られるテラスラインは、内型に残された重複板の印象なので、今回のように外殻が保存されている場合には見られない。

バランド先生によれば、本種には縦長型と幅広型があるらしい。私の買ったのは縦長型のようだが、それは右側の部分が失われている(もしくは母岩中に埋っている?)ためにそう見えるだけかもしれない。先生の持論では、同一種における縦長型はオス、幅広型はメスとのことだが、これは今日では否定されている。たんに地中の圧力で縦に伸びたり横に広がったりしただけのものも多いだろうからだ。


チェコの博物館にあるタイプ標本


     * * *


今回本種を手に入れたことで、私のボヘミア三葉虫探求も一区切りついた。三年がかりで集めてきて感じるのは、チェコ産の三葉虫は、状態を問わなければ、必ずしも入手困難ではない、ということだ*1。蒐集を始めたばかりのころ、ネットを見ると、チェコ産はめったに出ないから、見つけたときが買い時だとか、産地は壊滅状態にあり、新たな採取は望めないだとか、こっちの危機意識を煽るような言説ばかりが目についた。それはまあそうだとして、オールドコレクションの放出というのはつねに行われているので、その質と量が相当なものであることは、極東の島国から望見してもおぼろげながらそれと知れる。そう悲観的にならなくても、じっと様子をうかがっていれば、自分の好みに合ったものがお手頃価格で手に入ることも珍しくないのだ。

というわけで、これからボヘミア三葉虫を集めてみようと思っている人のために、次の三つのストアを紹介しておこう。


チェコ語が分らなくても、翻訳ソフトを使えばなんとかなる。価格は良心的だし、担当者(店主?)も親切なので、ぜひ利用してみてほしい。

*1:もっとも、オルドビス紀以降になると難易度はぐっと上がるが

幻の三葉虫

信山社発行の「世界の三葉虫」(進化生研ライブラリー1)は、もう20年以上も前の出版物でありながら、いまでも新本で買えるところがすごい*1。内容は一部古びてしまっているところもあるが、その反面、今では入手しがたい種類や、出所の怪しげな珍品も紹介されているので、たまに開いてみると思わぬ発見があって楽しい。

本書は分類にベルグストレームの方法を採用している。これはこんにち一般に行われているものとはちょっと違っているので、その点は注意が必要だ。アサフスがレドリキア目に入っているのを見て、「これはまちがいだ!」と思わないように。そういう分類もまたありうるのである。

さて、この本の46ページにパラディン・コスカ(Paladin koska)というのが紹介されている(石炭紀前期、ベルギー産)。標本はなんとなくクシャクシャした感じだが、私はこのパラディン・コスカという名前が妙に気に入って、石炭紀の白い三葉虫を見かけるたびにこの名前を思い出していた。しまいにはパラディンとくればコスカという名前しか思い浮ばなくなってしまった。

最近になってパラディンを二つ手に入れたので、あらためてこのパラディン・コスカについて調べてみたところ、驚いたことに、そんな名前の三葉虫は存在しないようなのだ。少なくともコスカという名前と三葉虫とのあいだにいかなる接点もない。私の気に入りであるパラディン・コスカは、現実には存在しない、幻の三葉虫なのだろうか。

たしかにコスカという名の三葉虫はいないが、カスキア(kaskia)ならば存在する。パラディンの仲間は一部カスキアとも呼ばれている。そこで考えられるのは、Paladin (Kaskia) を読み誤って、Paladin koska としたのではないか。どうも本書の他の部分から推し量るに、その手の誤りが絶無とはいいきれないのだ。

金子隆一の「ぞわぞわした生きものたち」の89ページには、「ペルム紀後期の最後の三葉虫」として、カスフィアというのが紹介されている。このカスフィアというのも、私が調べたかぎりでは特定できなかった。これまたカスキアの読み誤りもしくは書き損じではないかと思っている。

というわけで、なかなかちゃんと読んでもらえないカスキアだが、このカスキアなる三葉虫、じつのところ市場にほとんど姿をみせない、文字どおり幻の三葉虫のようなのである。尾板だけならそこそこ出るようだが、完全体はほとんど出ないのではないか。ミズーリアラバマインディアナなど、おもにアメリカで産出する種類のようだ。

AMNH のページにはこれの完全体の画像が二枚出ている。これがどれほど貴重なものか、三葉虫ファンでも知らない人が多いのではないか。私もつい一時間前までは知らなかった。三葉虫という狭い領域ですら、知らないことは次から次へと出てくる。それはまた、楽しみがそれだけ次々に出てくるということでもある。


世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

*1:いま見たらアマゾンでは在庫がなくなっているようだが、一時的な品切と思われる。そうであることを望む

化石とブラックライト

ロシアン三葉虫といえば、修復がつきもので、たいていの標本には修復率何パーセントと書いてある。この数値が正しいのかどうか、かねてから疑問に思っていた。質的にも量的にも、何を基準としてのパーセンテージなのか、はっきりしませんしね。

昔はこの修復率云々が嫌で、それでロシア産とは疎遠になってしまった。どうもロシアのものは信用できないな、というわけだ。しかし売り物として出ている三葉虫のほとんどが何らかのかたちで修復されているのを知った現在、むしろそれが何パーセントと明示されているロシア産のほうが信用できるんじゃないかという考えに傾いている。

この前買ったアサフスは修復率9パーセントとのことだ。9パーセントといえばかなりの数値だ。なにしろ全体のほぼ1割に及ぶ修復がなされているのだから。もしその修復がなければ、あっちこっちボロボロなんじゃないか。

しかし、蚤取り眼で探しても、10倍のルーペで覗いてみても、どこにもそれらしい痕がない。目で見ただけでは、どこが修復箇所なのか、おぼろげにさえ察することができないのである。9パーセントの修復とやらはいったいどこに隠れているのか。

こういうときに威力を発揮するものとして、ブラックライトなるものがある。なんでも、暗闇でこいつで照らせば、怪しい部分がたちどころに浮き上ってくるというから驚きだ。こういう用途に使うのなら、それほど高性能なものは要らないらしいので、最低ランクからふたつ上くらいのものを買ってみた。

さてどうなることかと固唾を飲んでライトで照らすと……あれ? 案に相違して、どこにも修復箇所らしきものが出てこない。あちこちに樹脂で埋めたあとがピッカリ照らし出されると思っていたのに……

ブラックライトが安物すぎて、ちゃんと反応しないのだろうか。いや、そんなことはない。ほかの標本、たとえばオクラホマのトゲトゲさんやNYのダルマニテスなどは、それらしい、もしくは意想外の箇所から蛍光を発した。その一方で、ウォルコット採石場やヨーロッパの各産地から出たものがいかなる反応も示さないのは、当然といえば当然だが、さすがというべきだろうか。いちばんひどかったのはモロッコのウミユリで、これはバラバラになったものを貼り合せたものであることがよくわかった。

もちろん修復といってもいろんな方法があるだろうし、ブラックライトで検出できないタイプのものもあるだろう。じっさいにはやらないけれども、アセトンで表面の塗装を剥がしてみても、たぶん修復箇所は露わにはならないだろうという予感がある。ロシア三葉虫の修復には、その道のプロにしかわからない、おそろしく巧妙な技術が駆使されているのではないか。

──おれたちは素人に尻尾をつかまれるような仕事はしないよ。
そううそぶく職人の声がきこえてきそうだ。


     * * *


下にブラックライトを当てて撮った写真をいくつかあげてみる。


NYのダルマさん。胸部に何ヶ所か横条が入っているのが修復(接着)の痕。赤い色に発光しているのは何かの加減でそうなっただけで、とくに問題ないと思われる。


OKのトゲトゲその一。角に継ぎ目があるのは当然だが、角そのものがなんだか怪しい色に光っている。右眼やその下の棘ももしかしたら作り物かもしれない。とはいうものの、この写真はちょっといい感じに撮れている。


OKのトゲトゲその二。左の長いトゲがアウトのようだ。この部分は前から怪しいと思っていた。不格好に継ぎ足されているのは肉眼でも確認できるが、トゲそのものが樹脂でできているのか、それとも補強に使った接着剤が蛍光を発しているのか、それはわからない……

しかし、トゲ以外に修復したらしい箇所が見当らないのはむしろ驚きだ。


トゲを完全に浮かせてしまわず、少し母岩を残したままにしてある標本は、整形の手間がめんどくさいとか、脆弱性を忌避するとかとはべつに、トゲの「ほんもの保証」の意味もあったんだと今ごろになって気づいた。

ノルウッディア・ベラスピナ

ユタ州ミラード郡のウィークス層(カンブリア紀)の産。ユタ州三葉虫の特産地ともいえるところで、ハウスレンジ(House Range)という名前を記憶している人も少なくないと思う。ウィークス層もそのひとつで、小粒ながら特色のある三葉虫を産するので有名だ。

ウィークス産の三葉虫では、ケダリア(Cedaria)、モドキア(Modocia)、メノモニア(Menomonia)といったところが一般的で、入手もそうむつかしくない。しかし、それら一般種を除外すると、いきなり高額帯に連れ出されてまごつくことになる。私がこの産地のものでとくに興味をもっているのがトリクレピケファルス(Tricrepicephalus)。その特異な姿ははげしく所有欲をそそるが、価格はともかくとしても、市場ではまずお目にかからない。ミネラルショーなどで持ってこられても、妥当な値段だとすぐに売れてしまうだろう。結果的に幻の三葉虫として、私のところには回ってこないと思われる。

トリクレピケファルスが無理でも、三葉虫愛好家としては、なにかひとつくらいはウィークス産を押さえておきたい。そう思って目をつけていたのがノルウッディアだ。もちろんこれだってそうたやすく手に入るものではないが、今回は例によってヤフオクでの落札というかたちで手に入れることができた(多少値段を吊り上げられたが)。大きさは約18㎜。


Norwoodia bellaspina


ノルウッディアという、多少ともビートルズを連想させる(Norwegian Wood)名前のせいで、わりと最近に発見された種類ではないかと思っていたが、調べてみると命名者はあのウォルコットで、1916年に模式種 Norwoodia gracilis が記載されているという。1916年といえばもう100年も前の話だ。この N. gracilis はユタ州ではなく、アラバマ州で採れたものらしい。

2010年のBPMの図鑑では、本種は Norwoodia sp. としてあるが、一般にはベラスピナ(bellaspina) の名前で通っているようだ。これは1990年に M.A.Beebe という人が提案した名前らしい。意味するところは「美しいトゲ」。同産地で似たような名前をもつ近縁種(?)にゲロスピナ(Gerospina schachti)というのがある。これはベラスピナより一回り大きく、額環からのトゲが生えていないタイプ。

さて私がノルウッディアに惹かれた理由として、その母岩の独特な色合いがあげられる。少なくとも三葉虫に関するかぎり、他の産地でこのような色をもつものを知らない。このおよそ石灰岩らしくない赤い母岩が標本の美的な価値を高めているのは疑いないのだが、現物を手に取って眺めてみると、いくつか奇妙な特徴が見つかる。まずこの母岩が3㎜ほどの薄い板であること、またこの薄い母岩のほんの表層のみが赤い色をしていて、その1㎜ほどの層の上に三葉虫が載っていること、母岩の裏側をなす部分は表側とは似ても似つかない、まるで別ものの観を呈していること、などだ。


裏面


こういうのを見ていると、この標本が自然の産物というより、人間の手の加わった、一種の人工物に見えてくるのはやむをえない。

私のカメラでは、母岩の赤い色はうまく撮れなかったけれども、本種のよい画像はネットでいくらでも見られるので、あまり気にしなくてもいいだろう。


     * * *


今回の標本はほぼ完璧だが、ただひとつ、尾板を欠いている。なんとなく寸詰まりにみえるのはそのせいだ。本種の尾板はきわめて小さいが、いちおう畝は二つついているらしい。いずれにしても本種のような小粒の、しかも保存のきわめていい三葉虫を楽しむには、10倍のトリプレットルーペは必須だろう。

トリプレットルーペはいろんなメーカーのものが出ているが、宝石鑑定をするわけではなく、標本の全体をゆるゆる眺めたいという目的で使うのなら、多少値段が高くても径20㎜以上のものを買うことをお勧めする。私は Beco というメーカーの21㎜のものを買ったが、まったくストレスなく使うことができる。

オギギオカレラ・デブッキイ

今回取り上げるのはウェールズのオギギオカレラ。いちおうアングスティッシマ種とのことだが、やはりというかデブッキイ種の線が濃厚だ。まあ見た目はどっちもほとんどいっしょだからあまり気にすることはないのだが……


Ogygiocarella debuchii


ローレンスとスタマーズの共著「世界の三葉虫」には、イングランド産5ヶ、ウェールズ産10ヶと、合計15ヶものオギギオカレラの標本が載っている。そんなにたくさん載せる必要があるのかどうかは別として、それだけ多産する、つまり英国を代表する種類であることは確かだろう。

今回の標本は、裏側の母岩を貼り合せた接着剤の痕も含めて、かなり年季が入っているようにみえる。おそらくオールドコレクションの放出品であろう。新規に整形された、できたての標本ももちろん魅力的だが、こういう古い標本には骨董品のような魅力がある。化石自体の古さに加えて、ものとしての古さが古物愛好家の心に訴えるのである。

本体の大きさは95mmで、一般に出回っているもののうちでは大きいほうだと思う。


     * * *


三葉虫の分類の最初の試みとされるブロンニヤールの1822年の論文。ここにみられるオギギオカレラはまだアサフスと呼ばれている(Asaphe de Debuch, Asaphus debuchii)。別にオギギア(Ogygia)という名称があるにもかかわらず、である。ブロンニヤールはアサフス目を設けて下記の5種類の三葉虫を配した。

1. Asaphus cornigerus (= Asaphus expansus)

2. Asaphus debuchii (= Ogygiocarella debuchii)

3. Asaphus hausmanni (= Odontochile hausmanni)

4. Asaphus caudatus (= Dalmanites caudatus)

5. Asaphus laticauda (= Eobronteus laticauda)

カッコ内は現行の名称。これでみると、こんにちでもアサフスに属するとされるのは 1) と 2)のみだ。1) はスウェーデンおよびロシアで産するアサフスで、ヴァーレンベリの命名になる古典的なもの。3) と 4) は今日ではダルマニテス科に属する。5) はスクテルムの一種で、スウェーデンで産する(ただし頭部と尾部のみ)。

最後にブロンニヤールの論文に掲げられた挿絵をのせておく(上記の 5) 以外の標本各種)。