コルポコリフェ・ルオーティ

某氏のブログに、複眼が保存されたロシアのアサフスの記事が出ていたので、手持ちのエキスパンススの眼をルーペで調べてみたが、個眼レンズなどひとつも確認できやしない。まあこれは仕方ないな、と思って、何の気なしにプリオメラ(同じくロシア産)の眼を覗いてみると、驚いたことにこっちには個眼が保存されている! 全体の保存があまりよくないだけに、まさかこの標本にこんなものが確認できようとは夢にも思わなかった。

というわけで、プリオメラの標本をもっている人は、ぜひルーペで眺めてほしい。あの小さい眼にびっしりとレンズが並んでいるさまはちょっとした見ものだから。

さて、そのプリオメラによく似たカリメネだが、これには個眼レンズどころか、眼そのものがなくなっているケースが大多数のようだ。もし眼の保存されたカリメネがあったとしたら、それだけで値段がぐんと上がるのではないかと思う。

今回手に入れたのは、そのカリメネの仲間であるコルポコリフェ。フランスのブルターニュで採れた標本で、この地方に特有の色合いをしている。そして、これには個眼レンズが(左だけだが)保存されているのだ。なるほどカリメネの眼はこういうふうになってるんだな、という漠然とした理解が得られる程度のものにすぎないけれども……


Colpocoryphe rouaulti



コルポコリフェについては、前にネセウレトゥスについて書いたときにちょっと触れた。そのときに、コルポコリフェ、サルテロコリフェ、ネセウレトゥスという、互いによく似た三種類の三葉虫の相違点をまとめた図にも言及したが、それをもう一度ここにあげてみると──



Neseuretus / Colpocoryphe / Salterocorypheより)


コルポコリフェに特徴的な尾板の凹みは、今回の標本でもよく確認できる。というか、これを実物で確認するために今回の標本を買ったようなものだ。なるほどこういう特徴は他のカリメネには見られない。人間でいえばこけたケツ、つまり肉が削げ落ちてくぼんだお尻でもあろうか。



尾板と並んで特徴的なのは、頭部の前面にみられる弧状の切れ込みだろう。カリメネにしろホマロノトゥスにしろ、この部分にはたいてい「縁」がついているが、コルポコリフェの頭部に「縁」はほとんど見られない。「縁あり」に慣れた目からすると、あるべき縁がすっぱり切り取られたかのような、ちょっと異様な風貌にみえる。



コルポコリフェの模式種は Colpocoryphe arago で、これは1849年にマリー・ルオー(Marie Rouault)が Calymene (Synhomalonotus) arago として記載している。ブルターニュのイル・エ・ヴィレーヌ県で採取されたもので、arago というのは、ルオーが世話になった科学者兼政治家のフランソワ・アラゴへの献名らしい。その後、1918年にチェコの研究者のノヴァクによって Colpocoryphe と改名された。

ノヴァクの先生であるバランドの図版集には、このカリメネ・アラゴの図が出ている*1。それらを見ると、たしかにフランス産のものに酷似していて、ほとんど同一種がチェコでも産出したことがわかる。シュナイドルによれば、チェコで産出するコルポコリフェには5種類あって、無眼のものから眼が飛び出たものまであるそうだ。

チェコばかりでなく、コルポコリフェの仲間はヨーロッパ各地、さらにモロッコでも産出する。SSPの図鑑をみると、11個もの標本があがっているが、それらすべてが厳密にコルポコリフェ属であるかどうかについては疑問がなくもない。

まあ私はそんなに多くのコルポコリフェを必要としているわけではないので、模式種に近いフランス産のものが手に入っただけで満足している。




標本データ
名前:Colpocoryphe rouaulti
サイズ:37mm
産地:Massif Armoricain, France
地層:Formation de Traveusot
年代:オルドビス紀中期

*1:Barrande 1872: Pl.2, fig.34-40, Pl.8, fig.10-12

スコトハルペス・スパスキイ

前から欲しかったがあまりの高さに手が出せずにいたもの。今回わりあい安価に買えたのはラッキーだったが、一般に出回っているものよりも一回り以上小さい(18㎜ほど)。このサイズのおかげでだいぶ安くなっているように思う(ふつうは25㎜ほど)。

しかし本種は最大で50㎜に達するらしく、それに近い大きさの標本も売られているようだ。そういうものからすると、25㎜も18㎜も小ぶりであることに違いはない。そう思ってサイズには目をつぶることにした。


Scotoharpes spaskii



今回の標本で気に入ったのは、胴が巻かずにまっすぐ伸びているところ。私は基本的にエンロール状態が苦手なので、カリメネにしろファコプスにしろ、丸まったやつにはどうも愛着が湧きにくい。今回のハルペスはやや反り返り気味だが、これはまずまず許容範囲内だ。



さてハルペスといえば、鍔の部分に開いた無数の孔が特徴なのだが、この標本ではそれらの孔はあまり明瞭でない。それどころか、凹ではなくて凸で保存されているようにみえる。そしてそれら無数の凸は、鍔の内側から外側へ向けて、放射状に広がっている(ちょうどハルピデスの genal caeca のように)。



あと、購入元によればこの標本は修復率1%とのことだが、この数字はどうだろうか。ブラックライトを当ててみると、あちこちから怪しい光を発する。この光った部分をルーペで拡大してみると、たしかにその箇所では何らかの処理が行われているようだ。しかし具体的に何が行われているかを確認するのは困難だろう。



最後に、名称の問題について書いておこう。本種の種名の spaskii は spasskii と書かれることもあるようだ。どうして二通りの表記が行われているかといえば、最初の記載者であるアイヒヴァルトのちょっとした間違いがその遠因になっている。

アイヒヴァルトは、エストニアのタリン近郊で見つかった新種の三葉虫を Trinucleus spaskii と名づけて、自分の友人のJ. T. スパスキ教授への献名としたが、教授の名は Spasski と綴るので、正しくは spasskii でなければならない。ところがアイヒヴァルトはうっかりそれを spaskii としてしまった(sをひとつ落した)。学名というものは、いったん決った以上は、たとえ綴りが間違っていたとしても、あとから変更はきかないらしく、spaskii という権利上の名前がこんにちまで生き残っているわけだ。

その一方で、事実上の名前をとって spasskii とする人々もいる。じっさいのところ、1881年にフリードリヒ・シュミットが spasskii 表記を採用してからというもの、ほとんどすべての人が右へならえで spasskii を使っているらしい。

そういうわけで、慣用的には spasskii で何の問題もないが、私はあえて spaskii にこだわってみた。モーニング娘には「。」がついていないとダメだ、という人には分ってもらえるだろう。


産地情報:
Lower Ordovician, A. lepidurus zone
Putilovo quarry, St Petersburg region, RUSSIA



(追記、5月4日)
スコトハルペスの「スコト」というのは、スコットランドの「スコット」から来ているらしい。つまりスコットランドで産出するハルペスに「スコトハルペス」という名前がつけられ、それがそのままロシア産のものに流用(転用?)されているわけだ。

スコットランド産の模式種 Scotoharpes domina のタイプ標本が下記のページで見られるから、興味のあるかたはどうぞ。

SPPLとMFの「ロシアのオルドビス紀三葉虫」によれば、本種は Solenoharpes や Aristoharpes といった属名で呼ばれることもあったらしいが、それらはいずれも後から出た異名にすぎないので、先行の Scotoharpes にプライオリティが与えられているとのことだ。

ちなみに、ハルペスという属名は 1839年にゴルトフス(Goldfuss)がアイフェル産の模式種(Harpes macrocephalus)に与えたもので、形態的にはモロッコで産出するハルペスにいちばんよく似ている。

エッカパラドキシデス・プシルス

──あなたはレドリキア派? それともオレネルス派?
──パラドキシデス派です。

分る人にしか分らないボケだが、こういう人は意外に多そうな気がする。レドリキアにもオレネルスにもあまり関心がなくて、パラドキシデスだけが好きっていうのがね。

さて、今回手に入れたのはチェコのエッカパラドキシデス。これが前から欲しかったんですよ。でもなかなかこれといった標本が見つからない。今回のもそれほど保存がいいわけではないが、全体の感じがなんとなく毅然としていてカッコいいのが気に入った。値段も安かったしね。


Eccaparadoxides pusillus (L.38mm)


チェコカンブリア紀三葉虫は、外殻が溶けてしまって内型(internal mold)だけが残っているのが少なくない。しかし今回のものは、黄土色の外殻がかなり(九割くらい?)残っていて、ちょっと得をしたような気分だ。フリル部分に通常見られるテラスラインは、内型に残された重複板の印象なので、今回のように外殻が保存されている場合には見られない。

バランド先生によれば、本種には縦長型と幅広型があるらしい。私の買ったのは縦長型のようだが、それは右側の部分が失われている(もしくは母岩中に埋っている?)ためにそう見えるだけかもしれない。先生の持論では、同一種における縦長型はオス、幅広型はメスとのことだが、これは今日では否定されている。たんに地中の圧力で縦に伸びたり横に広がったりしただけのものも多いだろうからだ。


チェコの博物館にあるタイプ標本


     * * *


今回本種を手に入れたことで、私のボヘミア三葉虫探求も一区切りついた。三年がかりで集めてきて感じるのは、チェコ産の三葉虫は、状態を問わなければ、必ずしも入手困難ではない、ということだ*1。蒐集を始めたばかりのころ、ネットを見ると、チェコ産はめったに出ないから、見つけたときが買い時だとか、産地は壊滅状態にあり、新たな採取は望めないだとか、こっちの危機意識を煽るような言説ばかりが目についた。それはまあそうだとして、オールドコレクションの放出というのはつねに行われているので、その質と量が相当なものであることは、極東の島国から望見してもおぼろげながらそれと知れる。そう悲観的にならなくても、じっと様子をうかがっていれば、自分の好みに合ったものがお手頃価格で手に入ることも珍しくないのだ。

というわけで、これからボヘミア三葉虫を集めてみようと思っている人のために、次の三つのストアを紹介しておこう。


チェコ語が分らなくても、翻訳ソフトを使えばなんとかなる。価格は良心的だし、担当者(店主?)も親切なので、ぜひ利用してみてほしい。

*1:もっとも、オルドビス紀以降になると難易度はぐっと上がるが

幻の三葉虫

信山社発行の「世界の三葉虫」(進化生研ライブラリー1)は、もう20年以上も前の出版物でありながら、いまでも新本で買えるところがすごい*1。内容は一部古びてしまっているところもあるが、その反面、今では入手しがたい種類や、出所の怪しげな珍品も紹介されているので、たまに開いてみると思わぬ発見があって楽しい。

本書は分類にベルグストレームの方法を採用している。これはこんにち一般に行われているものとはちょっと違っているので、その点は注意が必要だ。アサフスがレドリキア目に入っているのを見て、「これはまちがいだ!」と思わないように。そういう分類もまたありうるのである。

さて、この本の46ページにパラディン・コスカ(Paladin koska)というのが紹介されている(石炭紀前期、ベルギー産)。標本はなんとなくクシャクシャした感じだが、私はこのパラディン・コスカという名前が妙に気に入って、石炭紀の白い三葉虫を見かけるたびにこの名前を思い出していた。しまいにはパラディンとくればコスカという名前しか思い浮ばなくなってしまった。

最近になってパラディンを二つ手に入れたので、あらためてこのパラディン・コスカについて調べてみたところ、驚いたことに、そんな名前の三葉虫は存在しないようなのだ。少なくともコスカという名前と三葉虫とのあいだにいかなる接点もない。私の気に入りであるパラディン・コスカは、現実には存在しない、幻の三葉虫なのだろうか。

たしかにコスカという名の三葉虫はいないが、カスキア(kaskia)ならば存在する。パラディンの仲間は一部カスキアとも呼ばれている。そこで考えられるのは、Paladin (Kaskia) を読み誤って、Paladin koska としたのではないか。どうも本書の他の部分から推し量るに、その手の誤りが絶無とはいいきれないのだ。

金子隆一の「ぞわぞわした生きものたち」の89ページには、「ペルム紀後期の最後の三葉虫」として、カスフィアというのが紹介されている。このカスフィアというのも、私が調べたかぎりでは特定できなかった。これまたカスキアの読み誤りもしくは書き損じではないかと思っている。

というわけで、なかなかちゃんと読んでもらえないカスキアだが、このカスキアなる三葉虫、じつのところ市場にほとんど姿をみせない、文字どおり幻の三葉虫のようなのである。尾板だけならそこそこ出るようだが、完全体はほとんど出ないのではないか。ミズーリアラバマインディアナなど、おもにアメリカで産出する種類のようだ。

AMNH のページにはこれの完全体の画像が二枚出ている。これがどれほど貴重なものか、三葉虫ファンでも知らない人が多いのではないか。私もつい一時間前までは知らなかった。三葉虫という狭い領域ですら、知らないことは次から次へと出てくる。それはまた、楽しみがそれだけ次々に出てくるということでもある。


世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

*1:いま見たらアマゾンでは在庫がなくなっているようだが、一時的な品切と思われる。そうであることを望む

化石とブラックライト

ロシアン三葉虫といえば、修復がつきもので、たいていの標本には修復率何パーセントと書いてある。この数値が正しいのかどうか、かねてから疑問に思っていた。質的にも量的にも、何を基準としてのパーセンテージなのか、はっきりしませんしね。

昔はこの修復率云々が嫌で、それでロシア産とは疎遠になってしまった。どうもロシアのものは信用できないな、というわけだ。しかし売り物として出ている三葉虫のほとんどが何らかのかたちで修復されているのを知った現在、むしろそれが何パーセントと明示されているロシア産のほうが信用できるんじゃないかという考えに傾いている。

この前買ったアサフスは修復率9パーセントとのことだ。9パーセントといえばかなりの数値だ。なにしろ全体のほぼ1割に及ぶ修復がなされているのだから。もしその修復がなければ、あっちこっちボロボロなんじゃないか。

しかし、蚤取り眼で探しても、10倍のルーペで覗いてみても、どこにもそれらしい痕がない。目で見ただけでは、どこが修復箇所なのか、おぼろげにさえ察することができないのである。9パーセントの修復とやらはいったいどこに隠れているのか。

こういうときに威力を発揮するものとして、ブラックライトなるものがある。なんでも、暗闇でこいつで照らせば、怪しい部分がたちどころに浮き上ってくるというから驚きだ。こういう用途に使うのなら、それほど高性能なものは要らないらしいので、最低ランクからふたつ上くらいのものを買ってみた。

さてどうなることかと固唾を飲んでライトで照らすと……あれ? 案に相違して、どこにも修復箇所らしきものが出てこない。あちこちに樹脂で埋めたあとがピッカリ照らし出されると思っていたのに……

ブラックライトが安物すぎて、ちゃんと反応しないのだろうか。いや、そんなことはない。ほかの標本、たとえばオクラホマのトゲトゲさんやNYのダルマニテスなどは、それらしい、もしくは意想外の箇所から蛍光を発した。その一方で、ウォルコット採石場やヨーロッパの各産地から出たものがいかなる反応も示さないのは、当然といえば当然だが、さすがというべきだろうか。いちばんひどかったのはモロッコのウミユリで、これはバラバラになったものを貼り合せたものであることがよくわかった。

もちろん修復といってもいろんな方法があるだろうし、ブラックライトで検出できないタイプのものもあるだろう。じっさいにはやらないけれども、アセトンで表面の塗装を剥がしてみても、たぶん修復箇所は露わにはならないだろうという予感がある。ロシア三葉虫の修復には、その道のプロにしかわからない、おそろしく巧妙な技術が駆使されているのではないか。

──おれたちは素人に尻尾をつかまれるような仕事はしないよ。
そううそぶく職人の声がきこえてきそうだ。


     * * *


下にブラックライトを当てて撮った写真をいくつかあげてみる。


NYのダルマさん。胸部に何ヶ所か横条が入っているのが修復(接着)の痕。赤い色に発光しているのは何かの加減でそうなっただけで、とくに問題ないと思われる。


OKのトゲトゲその一。角に継ぎ目があるのは当然だが、角そのものがなんだか怪しい色に光っている。右眼やその下の棘ももしかしたら作り物かもしれない。とはいうものの、この写真はちょっといい感じに撮れている。


OKのトゲトゲその二。左の長いトゲがアウトのようだ。この部分は前から怪しいと思っていた。不格好に継ぎ足されているのは肉眼でも確認できるが、トゲそのものが樹脂でできているのか、それとも補強に使った接着剤が蛍光を発しているのか、それはわからない……

しかし、トゲ以外に修復したらしい箇所が見当らないのはむしろ驚きだ。


トゲを完全に浮かせてしまわず、少し母岩を残したままにしてある標本は、整形の手間がめんどくさいとか、脆弱性を忌避するとかとはべつに、トゲの「ほんもの保証」の意味もあったんだと今ごろになって気づいた。