パラドキシデス頌

気持の整理もかねて、思いつくまま書き散らかそうと思う。読みにくかったらごめんなさい。

私が初めてパラドキシデスの名を知ったのはリチャード・フォーティの「三葉虫の謎」においてである。フォーティはこの本のはじめのほうに、「私は十四歳のときに三葉虫と恋に落ちた」と書いているが、その初恋の相手、彼が最初に南ウェールズで岩を叩いて発見した三葉虫がパラドキシデスだった。P.グラキリスではなく、P.ダヴィディスと呼ばれる種である。

「……このとき私は初めてこの動物を発見したのだが、これで私の人生は変わってしまうことになる。三葉虫の長く薄い眼が私を見つめ、私はじっと見つめ返した。他のどんな青い眼よりも有無をいわさぬ力で。そこには、五億年の時を超えた認識へのおののきがあった」(フォーティ)

この運命的な出会いの叙述は、やはり彼が冒頭で引き合いに出しているトマス・ハーディの小説「青い眼」の一節とともに、「三葉虫の謎」という本の全体にある種のトーンを与えているが、その主調音としてパラドキシデスの名前はつねに特権的な重みをもって語られているように思う。

私がその現物を手に入れたのは今年の二月のことだ。初めて見たときは思わず息をのんだ。なんという渋さ、カッコよさ! その質感はまるで南部鉄かブロンズのようだ。母岩と完全に一体化したこの印象化石は、化石標本というよりむしろ自然が岩に刻みつけた彫刻のようにみえる。地の底から浮び上った太古の神のようなその風貌を眺めながら、私はふと映画の大魔神を思い出した。

パラドキシデスの目はカンブロパラスの目と同様に、細い三日月形をしたのが横向きについていて、本来は必ずしも明瞭ではない。しかしこの標本では自在頬がじゃっかん横にずれ、目の部分が分離したかたちで化石化している。人間でいえば上目蓋をはがされて白目をむいている状態で、そのことがこの化石に本来はありえない「開眼」をさせているのだ。私がこれを見て「怒りモード」に突入した大魔神を連想したのもふしぎではない。


パラドキシデス・グラキリス(Paradoxides gracilis)


大魔神といえば純和風のものかと思うが、原形はむしろ西洋にあって、やはり映画で有名なゴーレムがそれに当る。そしてゴーレムの故郷がチェコプラハであることを思うとき、私はここにもふしぎな縁を見出す。というのも、パラドキシデスが産出するインツェ累層はプラハ近郊のボヘミア地方にあるのだ。

今でこそボヘミアの化石産地は採取されつくして枯渇状態に陥っているようだが、十九世紀の中ごろは現在のモロッコやロシアのような、第一級の三葉虫の産地だった。フランス人の古生物学者ジョアキム・バランドが驚くべき業績をあげたのもここである。彼の書いた「ボヘミア中部のシルル系」はいまなお三葉虫愛好家のバイブルとされている。そしてバランドの威光は学術の分野においてもいっこうに廃れず、最近発見されたファコプスの新種は彼の名にちなんでバランデオプスと命名された。

バランドの本の挿絵を眺めていると、これは小さい「驚異の部屋」ではないかと思う。博物学の本はどれもみなそういった趣をそなえているが、白黒の線描で克明に描き出された、今はすでに絶滅してしまった生物の姿は、好事家の居間や学者の研究室よりも、珍奇なものを集めた私設博物館である驚異の部屋にこそふさわしい。そして「驚異の部屋」の原形をつくったルドルフ二世がやはりボヘミアの城主であることを思うとき、プラハを中心とした精神史のうちに三葉虫を位置づけたい欲望がむくむくと湧き起ってくる。

残念ながらルドルフ二世の時代にはまだ三葉虫は発見されていなかった。しかしもし発見されていたとすれば、ルドルフの気質からしても、数々のボヘミア三葉虫が「驚異の部屋」の一角を飾ったことはまちがいない。そしてそのコレクションのなかでも、とりわけパラドキシデスはその巨体のゆえに特権的な位置を占めたのではないか。

こんなふうに自由に連想の羽を展ばさせてくれる三葉虫はいまのところパラドキシデスをおいてほかにない。モロッコ産やロシア産ではなかなかこうはいかないだろう。というのも、それらにはまだ歴史らしい歴史がないのだから。

最後に、分類学の祖カール・フォン・リンネによって1759年に記載された三葉虫、エントモリトゥス・パラドクスス(Entomolithus paradoxus)の図(リカルド・レヴィ=セッティ「三葉虫」より)をあげておく。この学名の意味するところは「異様なる虫の石」だが、こんにちではパラドキシデスの一種、パラドキシデス・パラドキシッシムス(Paradoxides paradoxissimus、「この上なく奇異なる奇異虫」の意)の一標本と見なされているらしい。