プシコピゲ頌

この前パラドキシデス頌を書いたから、今度はプシコピゲ(通称シコピゲ)について書いてみよう。

プシコピゲの標本がうちに届いたのは去年の5月のことだ。それ以来、私の貧しい三葉虫コレクションの中心的地位を占めつづけ、今年2月のパラドキシデス革命のときも、多くの旧貴族たちが粛清もしくは追放の憂目にあうのを尻目に、自身はかすり傷ひとつ負わず生き延びて今日に至っている。

これは英国のショップから取り寄せたもので、カタログには Psychopyge ではなく Pysychopyge という表記で記載されていた。このスペルミスのおかげで検索にひっかからず、長いあいだ売れずに残っていたらしい。当時の私には高額だったので、かなり負けてもらってようやく手に入れた。

しかし入手当初からいろいろと不満はあった。もとより名の通った工房が手がけた高級品ではなく、無名の職人さんが昔ながらの釘とハンマーで(?)削りだしたものだから、細かい棘などみな飛んでしまって跡形もない。しかしそれは覚悟のうえで買ったのだからよしとしよう。私がいちばん不満に思ったのは額環の棘のクリーニングが不完全、というより棘の折れるのを防ぐために少し母石を残してあることだった。

ある日、私は思い立ってその母石を危なげのない程度にまで削り落とすことにきめた。で、カッターと丸ヤスリでがりがりやっていると、思いがけず先端がポキリと折れてしまったのである。これにはちょっと参ったが、マラルメの詩句 Le coL ignoré s'interrompt を Le coR ignoré s'interrompt と読み替えて、どうにか気持を落ちつけた。

そのほかにもあちこち自分で修正を加えて、なんとか満足できる状態にまでこぎつけた。そんなふうに手を入れた標本は、アンモナイトを別にすればこのプシコピゲをおいて他にない。

     * * *

プシコピゲが正式に記載されたのは1950年のことで、命名者はテルミエという人である。正確にいえば Termier et Termier、つまりテルミエ夫妻かテルミエ兄弟か、いずれにしても二人のテルミエさんによってプシコピゲという属が世に出た。模式種はプシコピゲ・エレガンス(Psychopyge elegans)で、私が手に入れたのもこの種だ。


Psychopyge elegans


さてこのプシコピゲのプシコ(psycho-)だが、何をあらわしているのか前から気になっている。ピゲ(pyge)は尻もしくは尾板という意味で、三葉虫はその尾板の形状によって命名されることが多い。例をあげればアカントピゲ(アカンサス(アザミ、棘)+ ピゲ)、アステロピゲ(アステル(菊、星)+ ピゲ)など。プシコピゲのピゲは近縁種のアステロピゲから語尾だけ取ったものと思われる。

では psycho- の方はどうか。

これがよく分らないのである。ギリシャ語のプシュケー(psyche)には
① 心、精神、霊魂
② 蝶、蛾
③ 神話の美少女
などの意味などがあるが、どれもプシコピゲにはしっくりこない。

ひとつこれかな、と思うのは、psyche が現用語としてミノガ(ミノムシガ)を指すことから、頬棘の長く伸びたプシコピゲの形状を羽をたたんだミノガに見立ててこう命名したのではないか、というもの。下にミノガの画像を示す。上のプシコピゲの画像と見比べてほしいのだが、なんとなく似ているような気がしませんか。



それにしてもこのミノガ、まるでケープをまとった貴婦人のように美しい……

     * * *

プシコピゲは名前の由来がはっきりしないだけでなく、その形態学上の記載にもちゃんとした文献資料があるわけではないらしい。たとえば模式種であるプシコピゲ・エレガンスについて、「三葉虫」の著者、リカルド・レヴィ=セッティは「胸部は12の節からなり、尾部には17の軸環と5対の肋がある」と書いているが、じっさいにそうなっているかどうか、プシコピゲの標本をもっている人は調べてみては如何?

しかしまあ文献上の記載があろうとなかろうと、プシコピゲの特徴が顔の前に突き出した箆のような突起にあることは間違いのないところだ。この箆の形の違いによって、プシコピゲ・テルミエロールム(P. termierorum)、プシコピゲ・プレスタンス(P. praestans)、プシコピゲ・ハンメロールム(P. hammerorum)などの種に下位区分されているようだ。また最近、フランスの業者から届いた新着案内によれば、プシコピゲ・アメモールム(P. amemorum)なる新種(?)もあるらしい。

ところでプシコピゲといえばモロッコ特産のように思われているが、どうやらドイツでも化石が出たようだ。バス(バッセ?)という人*1が2003年にプシコピゲ・プシケーというドイツ種を記載しているらしいのである(ウィキペディア情報による)。プシコピゲ・プシケー(Psychopyge psyche)。馬から落ちて落馬したような名前だが、響きはわるくない。

これらの種のどれをとってみても、プシコピゲには半月刀をふりかざした精悍なアラブ戦士のような野趣がある。私を魅了したのもおそらくこの野趣だ。


(追記、5月6日)

プシコピゲと紛らわしい名前の三葉虫にプティコピゲ(Ptychopyge)というのがある。調べてみると、プティコピゲのプティコ(ptycho-)はプティクス(ptyx)の変化形のようだ。ptyx の意味は、

①楯をおおう皮革、もしくは金属板
②書きものの下に敷く板、書付板
③襞状になったもの、たとえば山の起伏など

とあって、これまた三葉虫の形態にはあまり関係のなさそうな語義が並ぶ。

プティコピゲの画像をみると、尾板に襞のような凹凸が見られるから、もしかしたら「襞状の尾板」というのでプティコピゲと名づけられたのかもしれない。


(追記、6月8日)

プティコパリア(Ptychoparia)を中国では褶頬虫と表記するらしい。ということは、やはり ptycho- は皺とか襞の意味だ。パリアは pareia で、頬の意。これでいくと、プティコピゲは「褶尾虫」と表記できる。

*1:Basseiarges の名前はおそらくこの人にちなんだもの