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標本か、書籍か

私はもちろん化石蒐集を楽しんでいるが、それも一定の枠内でのこと。というのも、やっぱりこれは金がかかるわけですよ。欲しいものは際限なく出てくるが、それを買うためのお金には限度がある。それに最近では欲しいものが高額化してきて、おいそれとは手が出せない。ヤフオクなどを見ていると、特定の人々が次々に高額商品を落札しているようだが、これもよほどの金持ならいざしらず、毎週何万も趣味に金を出す、出し続けるのは一般人にはきつい。

あと、私の経験では、安いからといって中途半端なものを買うと、あとで必ず後悔する。後悔しないまでも、そのものに愛着がもてず、結果的にゴミにひとしいものになる。だから、たんに安いからという理由で、さしたる必要もないのにものを買うのは厳として慎まねばならぬ。安物買いのなんとやらという諺はここでもあてはまる。

さて、それではどうするか。

そこで思い出すのは、ルネサンス時代の偉大な画家であるウッチェロの逸話だ。ウッチェロは動物が大好きで、自分でも飼ってみたかったのだが、金がなくて買うわけにはいかず、しかたがないので動物の絵をいっぱい描いて、それらを眺めてはみずから楽しんでいた、というのである。

私も三葉虫アンモナイトの絵を描いて、それで楽しめればいいのだが、そういう才もない身としては、やはり他人の描いたもので代理の満足を得るよりほかない。他人の描いたもの、それは書物というかたちになって現前する場合もあれば、ネットでの閲覧というかたちをとる場合もある。

というわけで、化石に関する本がだんだんとたまってくるのは事の性質上やむをえない。今のところはまだたいしたことはないが、これも今後どうなるかは分らない。それに、ほんものの化石を買う習慣がついてしまった現在、かつてのように本が高価なものに思えなくなっている。かつては5千円の本といえばずいぶん高額のものに思えたが、いまではむしろ安く感じられてしまうくらいだ。

考えてもみよ、5千円の化石標本と、5千円の本とでは、どちらが多くの楽しみを与えてくれるかを。

現在、チェコにバランドの三葉虫本(リプリント)を発注している。これがだいたいふつうの化石一個分の値段だ。バランドの本一冊と、一個のありふれた三葉虫の標本と、さてどっちを選ぶかといわれたら、たいていの人は前者を選ぶんじゃないかな。


ドイツで出ていた Fossilien という雑誌から

購入した化石本の数々