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化石問答

──このところのヤフオクの化石カテゴリー、ちょっと異様ですね。
──ええ、私もヤフオクを見だして2年ほどになりますが、こんな事態はなかったですね。だいたいアンモライトが1円スタートとか、ありえないでしょう。
──それも次から次へとこれでもか、とばかりに……
──ええ、それにクォリティがまたすごい。アンモライトには興味のない私も思わず身を乗りだしてしまいます。
──やはりそそられますか。
──それはまあ化石好きとしては、ね。無関心ではいられませんよ。
──しかしあんなふうに一個売れたらまた次のを出す、というふうにやられると、自分が買ったものよりクォリティの高いのが安い値段で落札されたりする場合もあるでしょう。そうなると、心穏やかではいられないんじゃないですかね。
──ははは、それは貧乏人の考えですよ。金持はそんなこと気にしてやしませんって。
──貧乏人はどうも僻みっぽくなっていかんですな。
──金持喧嘩せず、ですよ。
──まったく、ああいう場ではもうお金がないと手も足も出ませんね。
──それはオークションなんだから当然じゃないですか。だれがなににどれだけ金を使おうと、それはその人の勝手でしょう。
──まあそうなんですが、しかしスタートラインにも立てないのはやはりくやしいですよ。
──そんなことはないでしょう。金がなくてもスタートラインくらいには立てますよ。じっさい私は今回のオークションで自分の払えないような金額を何度も入札してますよ。
──そんなことしてどうするんですか?
──なんとなく祭に参加しているようで、楽しいですからね。
──落札するつもりもなくて、ですか。
──ええ、落札なんかしたら逆にえらいことになります。まずこれくらいまでなら大丈夫だろう、という予想を立てて、とりあえずぽんぽん入札しちゃいますね。いっときでも最高入札者になるのは気持のいいものです。
──そんなことして空しくないですか?
──なんの、空しいもんですか。それどころか、そうしているうちにだんだんと熱がさめてきてね。こんなものにこの金額を払うのは正気の沙汰じゃない、と心から思えるようになります。
──そういえば私も終了近くなって自分が最高入札者のままだったりすると、不安になることがありますね。だれか入札してくれ、高値更新してくれ、こんな金額で落札させないでくれ、とね。
──二律背反というやつですかね。それにしても、この事態はいつまで続くんでしょうか。
──さあ、在庫がなくなるまで、じゃないですかね。
──ご冗談を……じっさいのところ、本体ページで私が目をつけているものでも、いっこうにヤフオクに出品されないものも少なくありませんよ。
──そういうのはやはり売れるあてがちゃんとあるんでしょうね。
──逆にいえば、たんに稀少価値や付加価値のみでは高額商品は売れないんでしょうね。やはり商品そのものに魅力がないとね。
──そういえばこの前出ていたボエダスピス、50万くらいで落札されてましたね。その前のが100万でしたから、ずいぶん安いな、と思ったんですが。
──それは後になればなるほど商品価値は低くなりますね。どんなに珍奇なものでも何度も見せられると新味が薄れるのはやむをえないでしょう。
──買うほうからいえば、残り物には福がある、というわけでしょうか。
──それを福と呼んでいいのかどうか疑問ですが、まあ安くは買えるでしょうね。
──だからといって、次回を待っていると、その次回は永遠にこないかもしれない……
──出品者のみぞ知る、ですよね。どのみちこっちにはうかがい知るすべはないんだから、運を天にまかせるよりほかないですね。
──運を天にまかせてとりあえず飛び込んでみる、ですか。
──溺れないように注意しながらね。
──いやいや、大金つかんで思うさま溺れてみたいものです。
──ところでじつをいえば、この前オークションでひとつ落札しちゃったんです。
──へえ、何をです?
──アメリカの三葉虫。これがちょっと困ったことになってね。
──困ったこと?
──はい。というのも、これがまあ私の買ったうちではいちばん高額の標本になるんですが、やっぱり品もいいわけですよ。で、そういうのを見ていると、もうこれはこれだけで完結しちゃってて、先へ続くものがないな、と思うわけです。
──自己完結型の標本ですか?
──そういってもいいと思いますね。今まで買ってきたのは、どっちかというと不完全なものばかりで、それがかえって探究心をそそるんですね。不明な点をネットや本で調べる、そうしているうちにだんだん付随的な知識がついてきます。それがまた新たな購入の原動力になる、という、ある意味理想的な循環が成り立っていたんです。ところが、こういうほぼ完璧な標本を手に入れてしまうと、もうそこから先へは進む余地はありませんよ。進むとすれば、さらに別に完璧なものを求める、という方向になるでしょうね。つまり高額標本への道しか残されていないわけです。
──それはあんまり狭いものの考え方ではないでしょうか。そうは必ずしもならないと思うんですが。
──必ずしもならなくても、大筋においてはそうなりますよ。いままでしょぼい標本を手に入れては、由来や系統を調べたり、写真に撮ったりして、このブログにも記事を書いてきましたが、なんだかそういう意欲がすっかりなくなってしまいましたよ。
──うーん、まあそういわれると分らなくもないですね。というのも、前からふしぎに思っていたんですが、すばらしい化石を次々に手に入れているような人が、どういうわけかその成果をいっこうに発表してくれない。こんなの手に入れたよ、とか、どうですこのコレクションは、とかいうふうに公開してくれるのを期待してるんですが、そうはなっていません。それはつまり──
──そう、その人にとってはもう標本はそれだけで完結したものなんでしょう。そこからさらに別の方面に探求の手をのばす必要を感じていないし、感じていないからなにも考えないわけです。なにも考えていなければ、とうぜん記事なんて書けるはずもありませんね。
──問題意識が薄れちゃったんでしょうか。
──そもそもなんで自分が化石に惹きつけられるのか、という点が見えなくなっていて、欲しいものがあればオートマチックに買っちゃうんでしょうね。
──それはいけませんなあ。
──他人のことは分りませんが、自分ではそうなる危険を感じています。
──なんとかしないといけませんね。
──ええ、ほんとにね。
──哲学者のカントの有名な言葉に、「それを考えることしばしばにしてかつ長ければ長いほどますます新たにしてかつ増大してくる感嘆と崇敬とをもって心を充たすものが二つある。ひとつはわが上なる星の輝く空、ひとつはわが内なる道徳律」というのがありますね。位相は違いますが、私はこれを化石蒐集のうえでの座右の銘にしています。
──それを考えることしばしばにしてかつ長ければ長いほど……なるほど含蓄のある言葉ですね。カントが星空と道徳律とを対応させたように、私も化石に対応する内心のなにかを確立する必要がありそうですね。