エンクリヌルス・マクロウルス

化石に親しむにつれ、だんだんと日々の労働や雑事が煩わしくなってくる。しまいにはそういう一切のものから解放されて、化石の国へ行って住みたいと思うようになる。しかし化石の国なんてものがこの世にあるのだろうか。それはキリスト教徒における神の国とおなじく、めいめいの心の中にしか存在しないのではないか。

化石の国 Fossils-Land が実在しないとしても、化石の島 Fossils-Island ならば現実に存在する。たとえばスウェーデン領のゴトランド島。島の全域にシルル紀の地層が露出していて、散歩しているだけで化石がいくつも拾えるという夢のような島だ。

この島からは三葉虫はそうたくさんは出ない。カリメネ、エンクリヌルス、プロエトゥスといった小さい種類が主で、大きいのはホマロノトゥスがまれに(ただし多くは断片で)見つかるくらいだ。今回手に入れたのはエンクリヌルスで、種名はマクロウルス(尻尾の大きい)だが、その尻尾の尖は飛んでいる。左右の頬棘の先端も同様。体は二つ折りになっていて私の好みではないのだが、この産地から出る三葉虫はどういうわけか程度の差こそあれほとんどが体を曲げている。これがもしまっすぐな姿勢で棘も完備していたとすれば、おそらく私には買えない値段になっていただろう。


Encrinurus macrourus


エンクリヌルスはケイルルス上科エンクリヌルス科に属する三葉虫で、この科にはほかにもいろいろとたまらん種類が多い。基本的には「イチゴ頭」と呼ばれるように頭部が粗い粒々で覆われたタイプだ。もっとも、この程度の粒なら他の種類にもざらにある。エンクリヌルス類特有というわけではないのだが、どういうわけかこの科の粒々は病的にみえる。人間でいえば顔面が吹き出物や疣で覆われた状態といえばいいか。

そういう印象を植えつけるのに与って力あったのがリチャード・フォーティの「三葉虫の謎」の口絵にあるバリゾーマだ。これにはそうとう驚かされた。じっさいは3cmそこそこの小さい種類なのだが、11cmに拡大されるとかなりのインパクトがある。まるで蓮コラを見ているようで、とんでもないのがいるな、と初心者の私はひたすら慄いていた。


Balizoma variolaris


さて今回の標本だが、小さくて安定がわるいので、ミネラルタックでアクリルベースに固定してみた。こうしておけば取り扱いが非常に楽で、飾るにも好都合だ。




化石本体の質感としては、うちにあるものではオハイオ産のカリメネにいちばんよく似ているが、表面に保護剤でも塗ってあるのか、妙にテカテカしている。そのせいで(?)石というより硬化プラスチックに近い感じがする。アクリルベースなんぞをくっつけてあるとなおさらその感がつよい。というのも、手で持つのがアクリル部分だから、視覚情報と触覚情報とが奇妙に同化してしまうのである。


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ゴトランド産の化石で三葉虫以外に目を転じると、まず目につくのがサンゴ、それから腕足類、腹足類(巻貝のたぐい)、コケムシなどだ。いずれも現生のものとはどこか違っている。これら化石種ならではの色彩を欠いた奇妙な標本が、涙の出るくらい安い値段で売っているのである。なんでこんなに安いのか、と問うまでもなく、大量に産出するからだろう。

こういった残骸のような化石のうち、サンゴと腕足類をいくつか買い求めた。そのさい手引きとして使ったのが、サラ・エリアソンというスウェーデン人の女性の書いた「太陽石と猫のしゃれこうべ」という本だ。化石好きにとっては見ているだけで楽しくなるような本だから、次回はこれを紹介したいと思う。