椎野先生の講演(後半)

後半の論題は「外への平滑化」というので、外面の平滑な三葉虫の例としてハイポディクラノタス(Hypodicranotus striatulus)が採り上げられます。これは会場でも展示されていましたが、小さくて地味なので見過ごした方も多いのではないでしょうか。私も講義を聴いてからもう一度会場へ引き返してあらためて見直した口です。うつ伏せと仰向きと、二種類展示されていて、仰向きのほうにはしっぽの先まで延びた長大なハイポストマがたしかに確認できました。産地は見落としましたが、たぶんニューヨークのウォルコット採石場から出たものだと思います。

このハイポディクラノタスはレモプレウリデス科に属する、いわゆる遊泳性の三葉虫です。キクロピゲやアンピクスなど、遊泳性といわれる三葉虫はどれも平滑な外殻をもっていますが、このハイポディクラノタスの特徴である、異様に長いハイポストマはいったいどういう役割を担っていたのでしょうか。

椎野先生はそれを調べるために、コンピュータ・シミュレーションによる流体解析の実験を行います。そして、この長大なハイポストマが、えさを削り取ったり獲物を押さえつけるために使用されたのではなく、遊泳のさいに水の抵抗を低減し、揚力を安定させるための器官であることを発見します。どうも、このフォークのような器官があるとないとでは、水流の安定度がかなり違ってくるらしいのです。

さらにくわしく見てみると、この二又フォークの中央と側面とに逆流が発生するらしいのですが、中央部分の逆流はえさを口に運ぶのに使われ、側面での逆流は呼吸のために役立ったのではないか、ということです。つまりこの三葉虫は、水中を優雅に泳ぎながら、摂食と呼吸とを同時に行っていたのではないか、というのです。推定遊泳速度は秒速20cm。

さて、この種にかぎらずレモプレウリデス科の三葉虫はどれも頭の側面についた横長の眼をもっているのですが、どうもこの眼の形態は遊泳に特化したものではないそうです。というのも、実験の結果、遊泳のさいに眼のまわりに乱流が発生することが分ったからで、それにもかかわらずこういうタイプの眼をもつにいたったのは、それが遊泳のさい必要となる視覚情報をもっとも効率よく得ることができる形態だったためではないか、というのが椎野先生の考えのようです。さらにこの眼を構成するひとつひとつのレンズはおそろしく小さいらしく、極小レンズの高密度集積体であるこのタイプの眼が非常に高性能なものであったことも分っているらしいのです。

なめらかな外殻をもつ流線型の生き物が遊泳に適していることはわれわれにも感覚的に理解できますが、それがこういう実験の結果、実証的に明らかになった、というわけです。

機能美という観点からすると、機能的な進化をとげたハイポディクラノタスははたして美しいかどうか、という問題が出てきますが、どうでしょう。

椎野先生はある種のステルス型戦闘機のように美しい、と表現されたように記憶していますが、いわれてみればたしかにアンピクスやトリヌクレウスにもそういった趣はあります。SF的、未来的なデザインの三葉虫の一群がたしかに存在するのです。そのいっぽうで、ハイポディクラノタスを見て、台所の嫌われ者であるコックローチを思い浮べる人も多いのではないでしょうか。

最後に、三葉虫全般の形態について、かんたんに書いておきます。

三葉虫カンブリア紀に出現し、ペルム紀に絶滅します。形態的にみると、カンブリア紀三葉虫はどれも似たようなデザインで、その方面での多様性は低いのです。オルドビス紀に入ってから形態的な多様性は増大し、デボン紀末期にピークに達したあと、石炭紀にはふたたびカンブリア紀のような形態的な一様性に戻ります。というのも、デボン紀末の大絶滅を潜り抜けて生き延びたのはプロエトゥス目だけなので、この目の三葉虫はもともとシンプルなデザインのものばかりなのです。たまたま生き残ったのがシンプルなデザインのものだったのか、シンプルなデザインだったから生き残ることができたのか、そのあたりのことはよく分りません。

カンブリア紀三葉虫は海洋中のあるニッチを独占し、そこから動こうとしなかったから形態的に一様なものとなった。オルドビス紀以降、生活環境が多様化するにつれて、形態的にも多様性をもつようになった。石炭紀以降は、魚をはじめとする他の生物の勢いに押し捲られて、ふたたびあるニッチに追いやられた結果、形態的には一様なものにとどまった、というのがおおまかな流れでしょうか。


ハイポディクラノタスの仲間のアンフィトリオン・ラディアンス(チェコオルドビス紀