企画展「三葉虫の謎 II」を見終えて

立松コレクションは2000種の標本からなっているらしい。標本2000種といわれてもあまりピンとこず、「もってる人はそれくらいもってるだろうサ」くらいの認識なのだが、これは2000という数字を少なく見積もりすぎることからくる。たとえば2000冊の本、2000枚のCDといえばたいした数ではない。その程度の数をもっている人はざらにいる。しかしこれが化石標本となるとまったく話は違ってくる。

2000種を2000個と単純に考えて、50年間でそれだけ集めるとすると、一年間に40個集めなければならない計算になる。年間40個ということは、月にすると3、4個、つまりほぼ週一ペースで化石を手に入れつづける必要があるのだ。これがいかに至難の業であるかは、化石蒐集に興味のある人にはすぐにわかるだろう。ましてやそれが博物館級のものを多数含むのであってみれば!


     * * *


今回は写真撮影OKとのことだったのでカメラ持参で行ったが、一枚写したらもう撮る気がしなくなった。私のカメラと撮影技術とではまともな写真は撮るのはむりだと悟ったからだ。まともでない写真は見ているだけで苦痛なので、写真撮影は諦めた。


一枚だけ撮った写真


ところで、写真というのは真を写すといいながら、じつはそうではない。というのも、サイズが自由に変えられるからだ。そして化石標本においてはサイズというのはけっこう重要な要素なのである。


     * * *


写真をとらないとなると、「目に焼きつける」方式しか残っていないが、私にはこれが性に合っている。なんとなく、ぼんやり記憶に残っている、というのが好きなのである。

ダドリー虫とかダドリーのこおろぎとか呼ばれたカリメネ・ブルーメンバキ。今回これの現物を初めて目にしたのだが、どうも私のなかではっきりとした像を結んでくれない。ひとことでいって、捉えどころがないのだ。

ブルーメンバッハのカリメネは18世紀の英国ではすでにある種の文化的イコンとなっていたらしい。そして、ダドリーで多産するとはいうものの、まっすぐ伸びた完全体は意外に稀少だったようで、そういったものが見つかると、かなりの高値で売買されたというから、今日の状況とあまり変らない。

50年前に出た保育社の化石図鑑を見ると、カリメネ・ブルーメンバキの写真が出ている。ところが、産地を見るとイリノイ州のグラフトンとある。イリノイから出るカリメネならブルーメンバキではなくケレブラなのでは? と思ってもう一度写真を見直すが、私にはこれがケレブラなのか、ブルーメンバキなのか判別がつかないのだ。

そのカリメネ・ケレブラも会場に展示されていた。たしか三体ほど載っていて、母石ともどもまっしろで美しい。ディテイルもはっきりしていて、思わず見入ってしまう。

まっしろの三葉虫ということでいえば、ロシア産の石炭紀パラディン(グリフィチデス?)がすばらしかった。まるで磁器でできたフィギュアのようで、私はこういうのに弱い。これなら多少の修正はあってもいいと思う。化石標本というよりはほとんど美術品に近いのだから。


     * * *


頭に大きな角のはえたロシアのケイルルスがターンテーブルの上でくるくる回っている。これを見たとたん、往年の大悪獣ギロンを思い出した。子供のころは怪獣が好きだったが、その嗜好が紆余曲折をへて現在の化石愛好につながっているのだろうか。

その可能性はおおいにあると思う。なんといっても三葉虫そのものが、化石のなかでは感情移入衝動にいちばんよく適合しているのだから。そして子供のころに怪獣のおもちゃで遊んだことのない女性にとって、三葉虫の魅力がいまひとつ理解できないらしいのも無理はないな、と思うのである。


     * * *


規格外のサイズのものもあった。たとえばロシアのプリオメラ。6cmくらいあって、気味がわるいほどでかい。その横に同じくらいの大きさの丸まった個体があったが、私は丸まった三葉虫はあまり好かないので見過ごした。ところが、あとでチラシをみると、プリオメラ特有の歯のようなギザギザに尾棘の先端がきっちり食い込んでいるではないか。これはちゃんと見ておくべきだった。

あと、英国産のスパタカリメネ。これはアメリカ産のものはネットなどでおなじみだが、英国でも産出していたとは驚きだ。これまたサイズがでかくて、5cmくらいはあったと思う。こういうものは今ではまったく出ないのではないか。

ニューファンドランドのパラドキシデスは二種類展示されていて、そのうちのひとつ、フォルヒハンメリ(forchhammeri)というのが25cmくらいあって驚かされる。これはあまりに大きいので三葉虫というよりは平べったい魚にみえる。

カナダのドン・マッケイという詩人がニューファンドランドのパラドキシデスを題材にした詩を書いていて、そのなかに for they are elegant and monstrous という詩句が出てくる。パラドキシデス(矛盾したもの、の意あり)にはうってつけの表現だ。


     * * *


ガーヴァン、ゲース、ゴトランドといった歴史的産地のものはたしかに異彩を放っているし、私の関心の的でもあるのだが、純粋に化石標本として見た場合どうだろう。やはり地味で、一般的な興味は惹かないのではないか。ざっとひととおり見たあとで、キベロイデスやカリコスクテルムを記憶に留めている人が何人いるだろうか。

とはいうものの、私にはこういった産地のものは依然として魅力的だ。というのも、これら歴史的産地は欠点さえも魅力に変えてしまうような特別な場所だからである。私は権威主義に陥っているのだろうか。歴史的価値に目をくらまされているのだろうか。そういうこともあるかもしれないが、もしこれが迷夢だとするなら、この迷夢から覚めるときは、三葉虫という夢の総体から目覚めるときでもあるだろう。