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ワンダフル・デス

三葉虫の標本の説明でときどき見かけるのが「いまにも動き出しそうな」というフレーズだ。保存状態がよく、かつ躍動的な姿勢で化石化しているものをさしてそう呼ぶのだろう。こういうのは生き生きした化石といえばいいのか。文字にすると変だが、たしかにそういう標本は存在していて、人気も高い。

私はといえば、しかしこの手の標本はあまり好みでない。生きいきしたものではなく、死にじにしたもの(?)が好きなのである。三葉虫の魅力を背後から支えているのは、かれらがすでに絶滅していることだ。それはかれらにとってだけでなく、われわれにとっても幸いなことだった。この、死んだうえにも死んでいることが、逆説的にかれらを永遠の存在たらしめているからである。

松浦寿輝詩篇「師」に、「蝉」と題する次のような断章がある。

「わたしは <もの> が欲しい
ほんとうの重さが熟しきるところまで
死にきった <もの> が
あたたかな息を吐いたり血が臭ったりする
うつろいやすい <存在(ひと)> にはもううんざりだ
枯枝や紙やねっとりとひえた動物の屍を所有したい
ひびわれた石や蝉の抜殻のかたさに溶けこんでしまいたいのだ」

位相はやや異なるが、私が化石に惹かれるのもこういう心性があるからだと思う。