イレヌス・サルシ

イレヌスとひとくちにいってもいろんな種類がある。それらのうちでもだいたいこれが模式種ではないか、と見当をつけたのがイレヌス・サルシだ。ロシア産で手ごろなものがあったら欲しいと思っていたが、なかなかこれというのが見つからない。諦めかけていたところ、スウェーデン産のものが目についた。けっこう大きいわりには値段が安い。これはもしかしたら、と思って売り手に交渉してみると──

この標本は前に何度か名前を出したフランスの蒐集家、パトリック・ボンメル氏の旧蔵品らしい。売り手はボンメル氏の友人で、何度もいっしょに化石を掘った仲だという。そして意外なことに、そのボンメル氏は最近(1月末)63歳を一期として急逝したという。3000種に及ぶ三葉虫の標本をあとに残して──

もちろん私は彼とは一面識もなく、その旧蔵品をひとつ買ったのと、あと雑誌に出た論稿を読んだだけだが、こういうときにこの標本に目をとめたのもなにかの縁だと思って、遺品を譲り受けるつもりで買ってみた。


Illaenus sarsi



これにはボンメル氏が手づから書いた標本カードがついている。判読しづらいかもしれないので、そのまま書き写しておこう。


(No. 409)
Famille: ILLAENIDAE Hawle et Corda 1847
Genre: Illaenus Dalman 1827
Espèce: Illaenus sarsi Jaanusson 1954
Fmt: Expansus Kalk Limestone
Age: Llanvirn
Période: Ordovicien moyen
Loc: Ljungsbro - Östergötland - Suède -


     * * *


このカードにある Dalman というのは、スウェーデン博物学者で、ダルマニテスという三葉虫の名前は彼の名にちなんだものだ。彼は1828年に死んでいるから、イレヌスについて記載したのは死の前年ということになる。

彼が活動した19世紀前半にはすでに trilobite という名称はかなり一般に浸透していたようだが、ダルマン自身はこれを好まず、パレアデス palaeades という名前を推していたようだ。どうしてかというと、三葉虫のうちには「三葉」になっていないものがあるから、というので、その例としてニレウス・アルマジロを出したらしい。しかしまあ今日的に眺めればニレウスもりっぱに「三葉」虫だから、ダルマンの主張にはあまり根拠がない。それにパレアデスの字義は「昔の生き物」ということで、三葉虫のみを指すにはむりがある。

1954年に本種をイレヌス・サルシと命名したヤーヌソンはエストニア生れの古生物学者で、スウェーデンに渡って三葉虫を研究し、1999年にスウェーデンで没した。スウェーデンやロシアの三葉虫の名前には、彼の命名になるものも少なくなく、古生物学者や三葉虫愛好家のあいだでは彼の名は不朽になっているとみなして差し支えないだろう。

ダルマンが最初に記載したイレヌスが、このサルシであるかどうかは知らないが、少なくともスウェーデンでもっともふつうに見つかるのが本種であることはまちがいなさそうだ。スウェーデン三葉虫については下記のリンク先にたくさんの標本が出ている。