コレクション雑感

……まあ吊り上げなんていうのはごくふつうに行われていますからね、とくに目くじらを立てるほどでもないかと。ただ、どんな場合に、どの程度の額で吊り上げが行われているかは注目してもいいんじゃないでしょうか。それは売り手にとっても買い手にとっても不幸な結果に終らないための、一種の「機械仕掛けの神」として機能する場合もあるような気がします。

いずれにしても化石や鉱物の原価がそれほど高くないということ、売り手としてはそれにいかにしてオーラをまとわせるかが腕の揮いどころであること、前に紹介したボンメル氏の文章にあるように、そういったものには適正価格というものはなく、いちばん買いたがっている人が払ってもいいと思った金額がその価格になるということ、これらは事実でありましょう。


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化石に興味をもたなかったら読まなかったたぐいの本がけっこうあって、グールドの「ワンダフル・ライフ」もそうだし、ラマルクやダーウィンなどの古典もそう。「種の起原」を読んだ人は多いと思うが、初めからしまいまで三葉虫を念頭におきながら読んだ人間もあまりいないのではないか。古典というのはそういう勝手な読み方にも耐えるだけの幅の広さがある。

ベルクソンの「創造的進化」もそういう流れで読んだ。ものすごく頭のいい人が、進化論とまともに取り組んだらどうなるか、これはちょっとした見ものですよ。

そのなかに、「新たな満足は新たな欲望を生む」というフレーズがあってはっとする。新たな満足は古い欲望を鎮めると同時に、新たな欲望(つまり欠乏)を生み出すわけで、どこまでいっても「これでいい」ということはないのだ。コレクションにしても同じだろう。それはどこまでいってもゴールの見えない l'évolution なのである。