幻の三葉虫

信山社発行の「世界の三葉虫」(進化生研ライブラリー1)は、もう20年以上も前の出版物でありながら、いまでも新本で買えるところがすごい*1。内容は一部古びてしまっているところもあるが、その反面、今では入手しがたい種類や、出所の怪しげな珍品も紹介されているので、たまに開いてみると思わぬ発見があって楽しい。

本書は分類にベルグストレームの方法を採用している。これはこんにち一般に行われているものとはちょっと違っているので、その点は注意が必要だ。アサフスがレドリキア目に入っているのを見て、「これはまちがいだ!」と思わないように。そういう分類もまたありうるのである。

さて、この本の46ページにパラディン・コスカ(Paladin koska)というのが紹介されている(石炭紀前期、ベルギー産)。標本はなんとなくクシャクシャした感じだが、私はこのパラディン・コスカという名前が妙に気に入って、石炭紀の白い三葉虫を見かけるたびにこの名前を思い出していた。しまいにはパラディンとくればコスカという名前しか思い浮ばなくなってしまった。

最近になってパラディンを二つ手に入れたので、あらためてこのパラディン・コスカについて調べてみたところ、驚いたことに、そんな名前の三葉虫は存在しないようなのだ。少なくともコスカという名前と三葉虫とのあいだにいかなる接点もない。私の気に入りであるパラディン・コスカは、現実には存在しない、幻の三葉虫なのだろうか。

たしかにコスカという名の三葉虫はいないが、カスキア(kaskia)ならば存在する。パラディンの仲間は一部カスキアとも呼ばれている。そこで考えられるのは、Paladin (Kaskia) を読み誤って、Paladin koska としたのではないか。どうも本書の他の部分から推し量るに、その手の誤りが絶無とはいいきれないのだ。

金子隆一の「ぞわぞわした生きものたち」の89ページには、「ペルム紀後期の最後の三葉虫」として、カスフィアというのが紹介されている。このカスフィアというのも、私が調べたかぎりでは特定できなかった。これまたカスキアの読み誤りもしくは書き損じではないかと思っている。

というわけで、なかなかちゃんと読んでもらえないカスキアだが、このカスキアなる三葉虫、じつのところ市場にほとんど姿をみせない、文字どおり幻の三葉虫のようなのである。尾板だけならそこそこ出るようだが、完全体はほとんど出ないのではないか。ミズーリアラバマインディアナなど、おもにアメリカで産出する種類のようだ。

AMNH のページにはこれの完全体の画像が二枚出ている。これがどれほど貴重なものか、三葉虫ファンでも知らない人が多いのではないか。私もつい一時間前までは知らなかった。三葉虫という狭い領域ですら、知らないことは次から次へと出てくる。それはまた、楽しみがそれだけ次々に出てくるということでもある。


世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

世界の三葉虫 (進化生研ライブラリー)

*1:いま見たらアマゾンでは在庫がなくなっているようだが、一時的な品切と思われる。そうであることを望む