失敗談

私の三葉虫集めが二勝一敗ペースで来ていることはこの前書いた。今回またしても黒星をふやしてしまったわけで、その次第を書いておこう。何を買ったかは伏せておくが、わかる人にはわかるだろう。

そもそもの発端は思わぬ臨時収入があったこと。けっこうまとまった額のお金がぽんと入ってきた。どうせこういうのはあぶく銭なので、さっさと使っちゃいましょう、ということで、前から欲しくて目をつけていた三葉虫を購入。これは最初に目にしてからもう二年以上もずっと売れずに残っていたものだ。

さて届いた品を見ると、どうも様子がおかしい。この違和感はなんだろうと思ってよくよく眺めると、胸節がずれて隙間が空いており、そのぶん全体が間延びしたようになっている。これは、と思ってサンプル写真を見ると、じつにうまくこの隙間が写り込まないようなアングルで撮ってある。頭部のアップ画像ではたしかにこの胸節のずれは見て取れるが、そんな写真では当然のように頭部にばかり目がいって、下のほうなんかろくに見てやしない。

正直言って「やられた!」と思ったね。うーん、この露助め、とそういうことを言っちゃいけないが、まあそのときはそう思った。

こういうのはあまり気にしない方がいいのかもしれない。私だってふつうならたいして気にもとめない。しかし今回のものは前から欲しいと思い、それなりに愛着のある種類で、しかも値段はけっして安くはないのだ。要するに、高くてもいいからちゃんとした標本が欲しい、と思ったその標本がどうにも満足できかねるものだったとしたら、これはもう失敗としかいえないのではないか。

いずれにしても、買ってしまったものはもう仕方がない。気に入らないところは見ないようにして、いいところを探すとしよう。見れば頭部の作りはしっかりしているし、造形的にも美しい。顔線はどんな具合に入っているのかな、と思いつつ、ルーペで調べていたら、標本を支えていた指先の抵抗がふいに消え、なにか嫌な感触が伝わってきた。はっ、と思う間もなく、片方の頬棘の先端を圧しつぶしてしまったことに気がつく。

これはいかんとアロンアルファを取り出して、その折れたコンマ5ミリくらいの小さいのをくっつけようとピンセットの先につまんだはいいが、なにしろ小さくてひっかかりがないので、ちょっと手元が狂ったと思ったら、あっというまにどこかへ飛んで行ってしまった。

失われた──永遠に──

まあ折れたといってもほんの先っぽだけなので、ふだんなら仕方ないと諦めるが、何度もいうように今回はものがものだけに、どっか行っちゃったよアッハッハと笑ってもいられないのである。

というわけで、今回は自分の思い込みのつよさ、見る目のなさ、標本の扱いの雑さ、などのせいでさんざんな目にあった。まあ長く続けていればこういうこともあるだろう。

とりあえずの総括

私が最初に三葉虫を買ったのは2013年の3月だった。それからしばらくは様子見で、軌道に乗り出したのは6月くらいだから、今でちょうど4年が過ぎたことになる。もうあれから4年が経ったのか、と自分でもちょっと意外だが、それより恐ろしいのは、すでに5年目に突入しているという、この動かしがたい事実だ。

この4年間の成果を書いておくと、買った三葉虫トータルで145個、そのうち47個は手放した。だいたい3個買えば1個手放している勘定になる。現在残っているのは98個。その内訳を国別に多い順からあげると、

アメリカ-----30
チェコ-------19
フランス-----13
モロッコ------9
イギリス------6
ロシア--------5
ドイツ--------5
カナダ--------3
スウェーデン--3
ポルトガル----2
ベルギー------2
スペイン------1

フランスが多いのは、オルドビス紀の標本をまとめ買いしたからで、種数に直せばそれほど多くはない。

時代別にみると、

カンブリア紀--15
オルドビス紀--46
シルル紀------14
デボン紀------13
石炭紀--------10

オルドビス紀はやはり三葉虫の最盛期なので、どうしても多くなるようだ。

さて、これにかかった金額だが、あまり考えたくないが、均せば月に3万くらいか? まあ趣味に使う金額としては妥当なところだろう。

自分にとってのエポックメイキングな標本について少し書いておこう。

まず2014年の2月に買ったチェコのパラドキシデス。これはFっしるのヤフオク出品で、1万2000円だった。これにはがつんとやられたなぁ。その衝撃の大きさは、このブログの最初のほうに書いた「パラドキシデス頌」にある程度の残響を留めている。それはまさにコペルニクス的転回だった。

次は2015年の5月に手に入れたオクラホマのディクラヌルス。これはMFの出品で、6万か7万だったように記憶している。私の高額三葉虫デビューがこれで、翌月にはさらなる高額種、オクラホマのケラトヌルスを買ってしまった。このふたつを手に入れてわかったことは、高い金を出したからってそれに見合う満足が得られるわけではない、という当り前の教訓だった。

その次は2016年の4月に手に入れたスフェロコリフェ。これもMFの出品だ。吊り上げされつつも9万ほどで落札できたのはラッキーだった。私はアイコンからも分るようにダイフォン好きなので、ダイフォン亜科の稀少種となるとどうしても特別な目で見てしまう。

2017年度はロシア三葉虫の年にしたいと思っているが、やはり高額種だらけなので、限られた予算では思うように買い物ができない。数ヶ月に一個ペースでは、私の三葉虫欲が満たされないのである。さてさてどうすればいいか?

まあこうしたいと思ってもそのとおりになることはまずないので、これまでどおり流れに身を任せるほかないだろう。

カリメネについて

みなさんはカリメネがお好きですか? 私は大好きですよ~

というわけで(?)、今回はカリメネのお話。まず大御所フォーティの意見を聞いてみよう。

「カリメネは多くの人から典型的な三葉虫とみなされている。……シルル紀の地層で最もふつうに見つかる三葉虫の一つで、古い歴史をもつウェンロック地域で発見された。……ウースターシアのダドリーの町では、一八世紀および一九世紀に栄えた採石場から、何万という美しく保存されたブルーメンバハのカリメネ(カリメネ・ブルメンバキイ)が産出した。気の利いたコレクションであれば、かならずこの標本が一つか二つはあるはずだ。それらは妙に人を満足させる代物で、手のひら大で、ふっくらとし、まぎれもない根源的な魅力を発散している。……」(「三葉虫の謎」pp.113 - 114)

「気の利いたコレクションであれば……」 なるほどそうかもしれん、と思いながら、保育社の「原色化石図鑑」を見ると、ここにもカリメネ・ブルーメンバッキィの写真が出ている。しかしこれはイリノイ州グラフトンで出たものだから、正確には blumenbachii ではなくて celebra であろう。

私もつい最近このグラフトン産のカリメネ(ステナロカリメネ)を手に入れた。保存状態はあまりよくないけれども、この産地のものの特徴はよく出ている。ざらざらした質感で、艶がなく、脆そうな石質なので、好みが分かれそうだが、私は嫌いではない。「(カリメネの)白い色は恋人の色」というわけで、その色合いはブルボンの銘菓ホワイトロリータを彷彿させる*1


Calymene celebra



ところで、カリメネはシルル紀限定というわけではない。その前のオルドビス紀にも、後のデボン紀にも棲息していた。さすがにデボン紀になると衰退の度合がいちじるしいが、オルドビス紀であれば、世界各地の地層からカリメネの産出は報告されている。

そこでふしぎに思うのは、あれほど多種多様の三葉虫を産するロシアでなぜカリメネが出ないのか、ということだ。広くカリメネ目ということでいえば、なんとかいう稀少種が出るらしいが、「オルドビス紀三葉虫」という大冊をひっくり返しても、ロシア産の一般的なカリメネはどこにも見当らない。カリメネにとって、オルドビス紀のロシアは棲みやすい環境ではなかったのだろうか?

まあそれはそれとして、やはり最近手に入れたものに、カリメネ・ブレヴィケプスというのがある。産地はインディアナ、年代はシルル紀。ご覧のとおり、母岩なしの小さい標本だが、これが色といい保存状態といい、ロシア産の三葉虫にじつによく似ているのだ。じっさいのところ、ロシア産のカリメネがもしあったらとたらこんな感じではなかろうか、と思ってしまうほどもの。いちばん下にアサフスと並べた画像を出しておく。


Calymene breviceps



自在頬が反転して下にずれ込んでいるので、おそらく脱皮殻であろう。見た目はオクラホマ産のカリメネ・クラヴィクラとほとんど同じだ。そこで思うのだが、オクラホマのクラヴィクラ、インディアナのブレヴィケプス、イリノイのケレブラ、これらは生前はほとんど区別がつかないくらい似ていたのではないか。

一方、同じシルル紀のカリメネといっても、ダドリー産のものとなるとだいぶ容子が違ってくる。これが模式種になっているのは、たんに最初に発見されて研究されたという歴史的偶然によるものだが、形態的にも模式種になりうるだけの条件を備えている。というのも、あらゆるカリメネのうち、これがいちばん過不足のない形をしているからで、よくいえば黄金の中庸、わるくいえばこれといった特色がないのである。カリメネにおけるミスター平均は間違いなく本種であろう。


Calymene blumenbachii

Society Logo – BCGSより)


さて、フォーティは本種について、胸節は12あると書いている。いっぽう、原記載者であるブロンニヤルの論稿をみると、胸節は14とある。どっちが正しいのか? ネット上の画像で確認すると、どうも13個が正しいような気がするが、私の数え方がまちがっているかもしれない。北米産のカリメネに関しては、どの種類も13個ということで決着がついているようだ。

胸節の数なんてどうでもいいじゃないの、という声もあるだろうが、私は気にする方だ。フェイクをつかまされないように用心しているうちに身についてしまった習性かもしれないが……

あと余談だが、カリメネという名前はブロンニヤルの創案にかかるもので、ギリシャ語の kekalymene(隠されたもの、知られざるもの < kalypto)の前綴り ke を省略したものらしい。初期の三葉虫の名前は、アサフスもパラドキシデスもアグノストゥスもみな「得体のしれないもの」という意味のギリシャ語由来なのがおもしろい。

ついでに、1750年の「哲学紀要(Philosophical Transactions)」に出た、史上初のカリメネの画像を紹介しておこう。もちろんダドリー産の C. blumenbachii である。




カリメネといえばダンゴムシのように丸まった姿勢のものがよく見られる。これについてフォーティはこう書いている。

「私は、学校の生徒たちが手のなかで四億年以上の歴史の重みを実感できるように、丸まったカリメネを彼らに手渡しさせていくのが好きだ。そのような実物とのかかわりは一回で、10本のビデオよりも価値がある。……」(前掲書、p.114)

私もドロトプスの丸まったのを手にもったときは、手の細胞がなにかを感じ取ったような気がしたが、あれが歴史の重みというものだったのか……


     * * *


もうひとつ、最近手に入れたカリメネに、カナダのオルドビス系から出たフレキシカリメネ・セナリアがある。この種類はいままで二度買っていて、二度とも手放した。今度のが三度目の正直ということになればいいと思う。


Flexicalymene senaria



カリメネの種類の違いはおもに頭部に現れている。とくに頭鞍のコブの大きさや形、溝の切れ込み具合などが識別の重要なポイントになるらしい。おおざっぱにフレキシカリメネとディアカリメネとの見分け方が書いてあるページがあるので紹介しておこう。

この piranha さんがあげている図が非常にわかりやすい。頭の前の「吻」の部分に畝がついているかどうか、頭鞍の二個目のコブが固定頬の張り出しに接しているかどうか、が決め手のようだ。


     * * *


*1:苦灰石 dolomite というらしいが、この名前がまたロリータの正式名ドロレス Dolores を想起させる

グリーノプス・ウィデレンシス

「ニューヨークの三葉虫*1」という大判の本を飾る(?)何種類ものグリーノプス。その魅力的な画像を眺めながら、自分もいつかはニューヨークのグリーノプスを、と思っていたが、なかなかこれといった標本が見つからない。上記の本のすばらしい画像を見ているだけに、中途半端なものは買う気がしないのである。これはもうだめかな、と諦めかけたときにふと目についたのがカナダ産のグリーノプスだった。

カナダ、とくにオンタリオ州の南のほうでは、オルドビス紀三葉虫がよく産出するようだが、デボン紀のものはどうか。AMNHのページを見ても、載っているのはグリーノプスとファコプスだけで、最後のカリメネといわれる Calymene platys を加えても三種類にすぎない。これらのうち、ファコプスとカリメネはかなりの稀産のようなので、実質的にはカナダのデボン紀三葉虫といえば、グリーノプス一種類で代表させているのが現状ではないだろうか。

まあそれはともかくとして、ニューヨーク産が手に入らない以上、カナダ産につくよりほかない。なんといってもオンタリオ五大湖をはさんでニューヨークの反対側にあるので、地層的にはいちばん近いと思われるからだ。画像で見るかぎり、カナダ産のグリーノプスにはニューヨーク産ほどのオーラは感じられないが、それももしかしたら私がかってに作り上げた幻想かもしれないではないか。

というわけで、とりあえず手に入れたのが下の画像のもの。大きさは27㎜で、右の頬棘は前所有者が逆さまにつけていたのを正しい向きにつけかえた。


Greenops widderensis






買ったときは Greenops boothi という名前がついていたが、これはおそらく妥当でない。カナダ産のグリーノプスが G. boothi にきわめてよく似ていて、ほぼ同種であるとしても、細かく見ていけばやはり違いはある。数あるグリーノプスのうちでも、boothi といえば模式種なので、自分としてはやはりそれなりの敬意は払っておきたい。そして、カナダ産のは産地(Widder)の名前をとって widderensis としておくのがいちばん無難で分りやすいと思う。

ニューヨーク産のグリーノプス類については、上記のコーネル大の本(pp.129 - 130)に相違点が細かく書かれているから、興味のある人はそちらに就かれたい。ここではごくおおざっぱにその要点だけ書いておこう。

まずグリーノプスとベラカートライティア(Bellacartwrightia)の見分け方。

→中軸に棘が並んでいればベラカートライティア、なければグリーノプス。

ベラカートライティアには5種類、グリーノプスには3種類ある。前者はさておくとして、後者の見分け方を書いておくと──

→額環に目立った突起があれば G. boothi
→額環に目立った突起がなく、かつ尾板まわりのトゲが尖っていたら G. barberi
→額環に目立った突起がなく、かつ尾板まわりのトゲが尖っていなければ G. grabaui

こんなところでどうだろう。

*1:Trilobites of New York, Th. E. Whiteley et al., Cornell Univ. Press

コルポコリフェ・ルオーティ

某氏のブログに、複眼が保存されたロシアのアサフスの記事が出ていたので、手持ちのエキスパンススの眼をルーペで調べてみたが、個眼レンズなどひとつも確認できやしない。まあこれは仕方ないな、と思って、何の気なしにプリオメラ(同じくロシア産)の眼を覗いてみると、驚いたことにこっちには個眼が保存されている! 全体の保存があまりよくないだけに、まさかこの標本にこんなものが確認できようとは夢にも思わなかった。

というわけで、プリオメラの標本をもっている人は、ぜひルーペで眺めてほしい。あの小さい眼にびっしりとレンズが並んでいるさまはちょっとした見ものだから。

さて、そのプリオメラによく似たカリメネだが、これには個眼レンズどころか、眼そのものがなくなっているケースが大多数のようだ。もし眼の保存されたカリメネがあったとしたら、それだけで値段がぐんと上がるのではないかと思う。

今回手に入れたのは、そのカリメネの仲間であるコルポコリフェ。フランスのブルターニュで採れた標本で、この地方に特有の色合いをしている。そして、これには個眼レンズが(左だけだが)保存されているのだ。なるほどカリメネの眼はこういうふうになってるんだな、という漠然とした理解が得られる程度のものにすぎないけれども……


Colpocoryphe rouaulti



コルポコリフェについては、前にネセウレトゥスについて書いたときにちょっと触れた。そのときに、コルポコリフェ、サルテロコリフェ、ネセウレトゥスという、互いによく似た三種類の三葉虫の相違点をまとめた図にも言及したが、それをもう一度ここにあげてみると──



Neseuretus / Colpocoryphe / Salterocorypheより)


コルポコリフェに特徴的な尾板の凹みは、今回の標本でもよく確認できる。というか、これを実物で確認するために今回の標本を買ったようなものだ。なるほどこういう特徴は他のカリメネには見られない。人間でいえばこけたケツ、つまり肉が削げ落ちてくぼんだお尻でもあろうか。



尾板と並んで特徴的なのは、頭部の前面にみられる弧状の切れ込みだろう。カリメネにしろホマロノトゥスにしろ、この部分にはたいてい「縁」がついているが、コルポコリフェの頭部に「縁」はほとんど見られない。「縁あり」に慣れた目からすると、あるべき縁がすっぱり切り取られたかのような、ちょっと異様な風貌にみえる。



コルポコリフェの模式種は Colpocoryphe arago で、これは1849年にマリー・ルオー(Marie Rouault)が Calymene (Synhomalonotus) arago として記載している。ブルターニュのイル・エ・ヴィレーヌ県で採取されたもので、arago というのは、ルオーが世話になった科学者兼政治家のフランソワ・アラゴへの献名らしい。その後、1918年にチェコの研究者のノヴァクによって Colpocoryphe と改名された。

ノヴァクの先生であるバランドの図版集には、このカリメネ・アラゴの図が出ている*1。それらを見ると、たしかにフランス産のものに酷似していて、ほとんど同一種がチェコでも産出したことがわかる。シュナイドルによれば、チェコで産出するコルポコリフェには5種類あって、無眼のものから眼が飛び出たものまであるそうだ。

チェコばかりでなく、コルポコリフェの仲間はヨーロッパ各地、さらにモロッコでも産出する。SSPの図鑑をみると、11個もの標本があがっているが、それらすべてが厳密にコルポコリフェ属であるかどうかについては疑問がなくもない。

まあ私はそんなに多くのコルポコリフェを必要としているわけではないので、模式種に近いフランス産のものが手に入っただけで満足している。




標本データ
名前:Colpocoryphe rouaulti
サイズ:37mm
産地:Massif Armoricain, France
地層:Formation de Traveusot
年代:オルドビス紀中期

*1:Barrande 1872: Pl.2, fig.34-40, Pl.8, fig.10-12

腕足類と三葉虫と蘚苔虫のコラボ

三葉虫には ventral(裏彫り)というクリーニング法がある。その名のとおり、腹側から母岩を取り除く方法で、背側からのクリーニングほど一般的でない。これが行われるのは、たとえば付属肢つきの標本、ニューヨークのトリアルツルスやブンデンバッハのコテコプスのような種類、それから重複板の構造がよくわかるアサフス類、あとケイルルスのうちでも平べったい形状のケラウルスなどに限られる。

「ニューヨークの三葉虫」をみると、裏彫り標本に特徴的なものとして、apodeme(s) という構造の説明がある。読んでもあまりよく分らないが、これは appendifers とも呼ばれるように、付属肢と本体とをつなぐ筋肉の付着部分のようだ。背側の軸溝(凹)に対応する、腹側の出っ張り(凸)で、これの発達程度によって当該三葉虫生活様式の一端を垣間見ることができるらしい。

さて今回、カナダのケラウルスの裏彫り標本を手に入れたので、その apodemes を確認するつもりで眺めてみたが、どの部分がそれに当るのかよく分らなかった。もうちょっと状態のいい標本なら、はっきり分かるのかもしれないが……まあそれでも、トゲの裏側にある溝や、梯子状に並んだ骨格の仕組みが確認できただけでもよしとしよう。





今回の標本のおもしろいところは、全体の構図がなんとなく人体の解剖図に似ていることだ。三葉虫の胴体を人間の肋骨に見立てると、腕足類が頭、コケムシの群体が手足の骨に見えてくる。左側に単独で置かれたコケムシなどは、まるで大腿骨の模型のように見えはしないか?



ヴェサリウスの解剖図譜より

スコトハルペス・スパスキイ

前から欲しかったがあまりの高さに手が出せずにいたもの。今回わりあい安価に買えたのはラッキーだったが、一般に出回っているものよりも一回り以上小さい(18㎜ほど)。このサイズのおかげでだいぶ安くなっているように思う(ふつうは25㎜ほど)。

しかし本種は最大で50㎜に達するらしく、それに近い大きさの標本も売られているようだ。そういうものからすると、25㎜も18㎜も小ぶりであることに違いはない。そう思ってサイズには目をつぶることにした。


Scotoharpes spaskii



今回の標本で気に入ったのは、胴が巻かずにまっすぐ伸びているところ。私は基本的にエンロール状態が苦手なので、カリメネにしろファコプスにしろ、丸まったやつにはどうも愛着が湧きにくい。今回のハルペスはやや反り返り気味だが、これはまずまず許容範囲内だ。



さてハルペスといえば、鍔の部分に開いた無数の孔が特徴なのだが、この標本ではそれらの孔はあまり明瞭でない。それどころか、凹ではなくて凸で保存されているようにみえる。そしてそれら無数の凸は、鍔の内側から外側へ向けて、放射状に広がっている(ちょうどハルピデスの genal caeca のように)。



あと、購入元によればこの標本は修復率1%とのことだが、この数字はどうだろうか。ブラックライトを当ててみると、あちこちから怪しい光を発する。この光った部分をルーペで拡大してみると、たしかにその箇所では何らかの処理が行われているようだ。しかし具体的に何が行われているかを確認するのは困難だろう。



最後に、名称の問題について書いておこう。本種の種名の spaskii は spasskii と書かれることもあるようだ。どうして二通りの表記が行われているかといえば、最初の記載者であるアイヒヴァルトのちょっとした間違いがその遠因になっている。

アイヒヴァルトは、エストニアのタリン近郊で見つかった新種の三葉虫を Trinucleus spaskii と名づけて、自分の友人のJ. T. スパスキ教授への献名としたが、教授の名は Spasski と綴るので、正しくは spasskii でなければならない。ところがアイヒヴァルトはうっかりそれを spaskii としてしまった(sをひとつ落した)。学名というものは、いったん決った以上は、たとえ綴りが間違っていたとしても、あとから変更はきかないらしく、spaskii という権利上の名前がこんにちまで生き残っているわけだ。

その一方で、事実上の名前をとって spasskii とする人々もいる。じっさいのところ、1881年にフリードリヒ・シュミットが spasskii 表記を採用してからというもの、ほとんどすべての人が右へならえで spasskii を使っているらしい。

そういうわけで、慣用的には spasskii で何の問題もないが、私はあえて spaskii にこだわってみた。モーニング娘には「。」がついていないとダメだ、という人には分ってもらえるだろう。


産地情報:
Lower Ordovician, A. lepidurus zone
Putilovo quarry, St Petersburg region, RUSSIA



(追記、5月4日)
スコトハルペスの「スコト」というのは、スコットランドの「スコット」から来ているらしい。つまりスコットランドで産出するハルペスに「スコトハルペス」という名前がつけられ、それがそのままロシア産のものに流用(転用?)されているわけだ。

スコットランド産の模式種 Scotoharpes domina のタイプ標本が下記のページで見られるから、興味のあるかたはどうぞ。

SPPLとMFの「オルドビス紀三葉虫」によれば、本種は Solenoharpes や Aristoharpes といった属名で呼ばれることもあったらしいが、それらはいずれも後から出た異名にすぎないので、先行の Scotoharpes にプライオリティが与えられているとのことだ。

ちなみに、ハルペスという属名は 1839年にゴルトフス(Goldfuss)がアイフェル産の模式種(Harpes macrocephalus)に与えたもので、形態的にはモロッコで産出するハルペスにいちばんよく似ている。