三葉虫は美しいか醜いか

信山社発行の「世界の三葉虫」の著者は、「三葉虫は最も古い化石生物のひとつであり、姿かたちが珍しいうえに美しく、しかも驚くべき多様性に富んでいる」と書いている。

いっぽう、評論家の松岡正剛は、その「千夜千冊」に「この古生代全体を3億年ほど生き抜いた生物の姿と形は、かつてハンス・ルーディ・ギーガーに始まったエイリアン型宇宙異様生物の原型としか思えないほどに、見れば見るほどグロテスクで醜悪」と書いている。

はたして三葉虫は美しいのか、醜いのか。

うーん、まあ美しいのもあれば醜いのもありますね。

いやいや、そういう問題じゃなくて……

ひとついえるのは、ある種の三葉虫を見ていると、美醜を超えた存在論的空間へと自分が開かれるのを感じる。いわば一種の恍惚境である。恍惚境(エクスタシス)とはつまり脱我の境地であり、自我と他者とが未分化であるような時空(個人でいえばアーラヤ識、広くいえば宇宙そのもの)への回帰である。

そういうものへ人をいざなってくれるのなら、それが美しかろうが醜かろうが、どっちだっていいじゃありませんか。

というわけで、三葉虫の魅力は美醜を超えたところにある、というのが私の結論。