スフェロコリフェ・ロブスタ

私の長年(といっても二年ほど)のあこがれの的だったスフェロコリフェをついに入手。箱から取り出すときはちょっと手がふるえたかもしれない。現物はといえば、意外に大きいのに驚いた。もっと小さい、ハエ取りグモくらいのサイズを予想していたからね。心配していた保存状態のほうもそんなにわるくない。サンプル画像では荒れた感じにみえた外殻も、実物ではほとんど気にならない。母岩から少し浮かすようにしてクリーニングしてあるので、どの方向からもよく見えるだけでなく、標本そのものが奇妙な生々しさをもって迫ってくる。これはすごいものが手に入ったぞ、としばらくは昂奮が収まらなかった。


Sphaerocoryphe robusta


出るたびに気を揉まされてきた本種だが、なんとかこれでけりがついた格好だ。


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スフェロコリフェはニューヨークだけでなく、他の産地からもいろんな種類が出ている。私が最初に目にしたのはロシアのS.クラニウムだった。そのころはダイフォンに興味をもっていたので、こういうボール状の頭をもつ三葉虫がほかにもいたことに驚いた。値段は応相談となっていたが、とても買える値段でないことは初心者の私にも察しがついた。

S. cranium


それからしばらくして、ガーヴァンの化石を扱った小冊子を見ていたとき、S.グロビケプスの画像が出ているのにはっとすると同時に、スフェロコリフェが形態的にいえば頭にこぶのできたケラウルスにほかならないことを知る。

S. globiceps

スフェロコリフェという属名を立てたのはスウェーデンの古生物学者ニルス・ペテル・アンゲリンで、1854年の「スカンジナビア古生物学」において模式種としてS.デンタータ(S. dentata)を記載している。しかし上にあげたS.グロビケプスは、すでに1843年にJ.E.ポートロックが記載しているから*1、順序でいえばこのガーヴァン産のものがスフェロコリフェ発見史における第一号ということになるのかもしれない。

スフェロコリフェはケイルルス科のうちでもダイフォン亜科に属していて、この亜科にはダイフォンとスフェロコリフェの二属しか含まれていない。両者が近縁であることはこのことからもわかるが、ダイフォンがシルル紀まで生き延びているのに対し、スフェロコリフェのほうはオルドビス紀末にすべて滅びてしまった。


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頭がボール状にふくらんだ三葉虫はほかにもあるけれども、この二属(ダイフォン亜科)を他から引き離して特異なものたらしめているのが、その湾曲した尾棘の存在だ。これのせいで、この二属は三葉虫一般の形態を超えて、四足動物、さらにいえば人間の姿(こびと?)を連想させずにはおかないのである。私にはそういう点がひどくおもしろく思われるのだが、一般にはどうだろうか。






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本種は1875年(明治8年)にウォルコットによって記載されているから、けっこう古くから知られていることになる。ただし標本はウォルコット採石場(Walcott-Rust Quarry)の、それも特定の層からしか産出せず、その数もけっして多くないらしい。年間数個体しか発見されないという情報もある。そんな稀少種が私のところに来るなんてまるで夢のような話で、二年前には想像もつかなかったことだ。

二年前、そう、この記事(→ヤフオク狂想曲またはPCの前の懲りない面々またはおめーらの頭の中は化石のことしか無いのか~っ - ファコプスの館 -La Maison de Phacops)を書いたころには……

*1:Ceraurus globiceps という名前で

メドウタウネラ・トレントネンシス

終りそうでなかなか終らないMF祭り。振り返ってみれば、年末あたりから毎週ぶっとおしでえんえんとやってるんじゃないか。商品のほうもだんだん高額化してきて、しょっぱなから手の出ないものも多い。まあそんなのはハイエンドのコレクターにまかせるとして、私としては手の届く範囲で気になるものが落せたら大満足だ。

さてメドウタウネラだが、これはいままで何度となく出品されてきて、そのつど手が届かなかった。今回ようやっと手に入れたのが下の画像のもの。


Meadowtownella trentonensis


これがグレードとしてどのあたりのものなのかよく分らないけれども、いろんな点からみてまずまず及第点を与えられる標本ではないかと思う。まず母岩と本体とのマッチングがいい。トゲの状態も、尾板あたりはやや怪しいが、わりあいシャープに保存されている。体節にみられる粒々も確認可能。頭鞍の瘤や眼も確認できるし、顆粒もそれらしく散らばっている。そしてこれが肝心なことだが、全体の雰囲気がどことなく殺気立っているのがいい。この鬼気のようなものが感じられないメドウタウネラはメドウタウネラにあらず、と個人的には思っている。

なぜそんな固定観念をもつに至ったかといえば、私が本種に注目するきっかけになった一枚の写真が鬼哭啾々たる雰囲気を漂わせていたからで、これが私のメドウタウネラ観を決定してしまった。下にその図を出す。コーネル大学出版局から出た「ニューヨークの三葉虫」という大判の本に載っているもの。



本種にかぎらず、この本の写真はいずれも鮮烈な印象を残すものが多く、それはおそらく標本の特殊な処理と、撮影技術の高さによるものだと思うが、いずれにしても、こんなすばらしい画像を見たあとでは、たいていの標本は物足りなく感じられてしまうだろう。


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上記の本には裏側からクリーニングした本種の写真も載っている。それをみると、肋棘は長いのと短いのとが上下二段に生えていて、頭部辺縁にも細かいトゲが並んでいる。こういった特徴から判断すると、本種はおそらくモロッコのデボン系から出るゴンドワナスピスと近縁なのではないかと思う。あと、ebay で何度となく出品されていて、そのつど逃しているオハイオプリマスピス。これも形態的には本種にきわめてよく似ている。

似ているとはいっても、これらにはさっき触れたような鬼気や殺気はみじんも感じられない。ことにプリマスピスなどは、保存のされ具合にもよるのだろうが、じつに優雅な趣を備えていて、殺気などといった下世話なものとはまるきり無縁だ。

いっぽう、同じくメドウタウネラの名で呼ばれる三葉虫ウェールズからも出ている。時代もオルドビス紀中期とほぼ同じだが、これはアメリカのものと比べるとだいぶ趣を異にしている。頭部のつくりも違えばトゲの生え方も違う。しかしなんといってもいちばんの相違点は、ウェールズ産のものには眼がないようにみえることだ。オドントプレウラ科で眼のない種類はほかにちょっと思いつかないので、その点だけでもウェールズ産のものは興味が深い。

今回の標本は、頭部の前に母岩が張り出していて、どうも輪郭がはっきりしないようなので、じゃまな部分を少し削り落してすっきりさせた。本体には傷ひとつつけていないので、元のプレパレーターも許してくれるだろう。


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メドウタウネラの元になったメドウタウン(Meadowtown)というのは、英国シュロップシャーにある小さい村で、かつては三葉虫の名産地だったらしい。現在ではSSSI指定でアマチュアの勝手な採取はできなくなっているようだ。

シュードキベレ・レムレイ

レムレオプス・レムレイ(Lemureops lemurei)という名前で出ていたもの。これはシュードキベレの一種で、おそらくシュードキベレ・レムレイと呼ばれているのと同一種だと思われる。


Pseudocybele lemurei


シュードキベレの仲間はわりあい見た目の違いがはっきりしていて、混乱をまねくことは少ないと思われるが、市場に出ている標本にはちゃんとした名前がついていないことが多い。MFのカタログにはどう見てもシュードキベレ・アルティナスタと思しいのがレムレオプス・レムレイと表記されているし、あるいは某コレクターのページには本種すなわちシュードキベレ・レムレイらしきものがシュードキベレ・ナスタの名前で出ていて、わけの分からないことになっている。

ここでいちおうまとめておくと、

1.シュードキベレ・ナスタ
大きさ2cm以下。眼は小さく寄り目。鼻先に突起がある。

2.シュードキベレ・アルティナスタ
大きさ2cm以上。眼は小さく寄り目。鼻先に突起がある。

要するにナスタとアルティナスタは大きさの違いでしかない。

3.シュードキベレ・レムレイ
大きさ2cm以下。眼は大きく飛び出ていて、やや離れている。鼻先の突起にギザギザがついている。

こんなところでどうだろう。違う、そうじゃないという意見があれば教えてください。


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今回の標本はていねいにクリーニングしてあるが、どういうわけか顔の前方に母岩が残してあって、前からみるとこれがじゃまで顔が見えない。それに鼻先の突起も片方だけ剖出され、左の頬は母岩に埋もれたままだ。こういう仕事はどうなのか。職人としては最後まで手を抜かずに作業すべきではないのか。

しかたがないので自分でまたしても母岩を削ることにする。石質が柔らかいので、カッターと丸やすりでじゅうぶんだ。

上にあげた三点を解決して、なんとか愛着のもてる標本になった。こういう作業をせず、そのままにしておく人も多いと思うが、私はごめんだね。中途半端なままでは愛着がもてないし、愛着のもてない標本は私にはゴミと選ぶところがない。


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本種はユタのフィルモア層(オルドビス紀前期)から出たもので、前に買ったシュードキベレ・ナスタは隣のネバダ州のナインマイル頁岩の産だ。このふたつの母岩は石質がじつによく似ていて、素人目には区別がつかない。

Pseudocybele lemurei & Pseudocybele nasuta


かたや15mm、かたや18mmと非常に小さいが、見慣れるとその小ささがあまり気にならなくなり、そこそこの大きさのものと比べてもけっして引けをとらない存在感を主張しはじめるのはふしぎだ。ナスタのほうはどこから見てもかわいいが、レムレイのほうは鼻先の突起が湾曲して「への字」になっているので、プンスカと怒ったような顔つきにみえる。




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前にも書いたが、シュードキベレならぬキベレという種類があって、これは以前から欲しいと思い、目当てのものもほぼ決まっていた。ところがその貯金(?)がMF祭りで飛んでしまい、とうぶん諦めなくてはならなくなった。まああれもこれもというわけにはいかないし、もともとコレクションには不向きな人間なので、今年いっぱいはロシア産には手を出さないでおこう。三葉虫好きにはわかると思うが、これはけっこうきついことですよ。

2017年に目当てのキベレはまだ残っているだろうか?

キファスピス・ケラトフタルマ

記念すべきアイフェル産の第一号。キファスピスという種類はあまり好みではないのだが、まあ初回だし、様子見にはいいんじゃないか、ということで買ってみた。灰白色の母岩に淡いベージュ色で保存されていて、注意深く眺めればその保存状態はけっしてわるくない。

Cyphaspis ceratophthalma


とはいうものの、ぱっと見た感じではやはり干からびた標本という印象は否めない。立体感を保ちながらも全体が斜め方向に圧されているので、前から見ると45度にひしゃげている。あとから来たアイフェル2号(ゲーソプス)と比べると、あらゆる点で対照的で、とても同じ産地から出たものだとは思えない。

見る人によっては価値のない、お粗末な標本に思われるかもしれないが、私にはアイフェル2号と比べてもそれほど遜色があるとは思えないのである。というか、ここまで共通点のない標本の場合、ふたつ並べて優劣をつけること自体が無意味なのだ。「みんなちがって、みんないい」というのはこういうときに使うべき言葉ではないかと思う。

図鑑やネットを見ると、本種は黒っぽい色で保存されることが多いようだが、信山社の「世界の三葉虫」に出ている画像のものは白っぽくて、たぶん私の買ったのと同じタイプだ。



同文書院の「化石探検」という本に、「順序なく並んだ肋骨に似た姿を岩の上に止めている三葉虫」という文がある。書いているのは福田芳生氏だが、たしかに白っぽく保存された三葉虫は白骨に似ている。


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アイフェル(ゲース)産の三葉虫は、本種とゲーソプス・シュロートハイミ、それにゲラストス・クヴィエリの三つが代表種で、これだけ揃えればだいたい格好はつく。ゲラストスはプロエトゥスの一種だから、これを手に入れたら念願のプロエトゥス類が同時に手に入ることになる。

ゲラストスといえばモロッコ産が一般的で、状態もよく値段も安い。そういうものには目もくれず、より状態がわるくて値段も高いアイフェル産を求めるのはどう考えてもまともではないが、蒐集という趣味はどうもこんなふうに脇道へそれていく傾向があるようだ。

ケラウルス・プレウレキサンテムス

今年最初のヤフオクでの買い物がこれだが、現物を見たときは驚いた。これがあのケラウルスだろうか。まるでパラドキシデスのような凄みではないか。それにこの格調の高さはどうだろう。雰囲気だけでいえば、去年の夏岐阜で見たアンフィリカスに匹敵する。うーむ、こんなものを私がもっていていいんだろうか。これはむしろ博物館にでも飾っておくべきものではないか。いや、じっさい私の家にはこれを置くべき場所がない。どこに置いてもまわりと調和しないのである。しかたがないのでとりあえず単独で机の上に置くことにした。さいわいトゲトゲ種ではないのであまり保管に神経質になる必要もない。


Ceraurus pleurexanthemus
Upper Ordovician
Walcott-Rust Quarry


これまでB級品や部分化石が主体だった自分のコレクションにこういうものが加わって、さてこの先いったいどうなるのか。いや、心配しなくても、これをきっかけにコレクションのレベルがいきなり上がるなんてことは考えられない。だいいちそんなことは私の懐具合が許さない。私はこれまでどおり安価な標本中心の、片隅の化石愛好家にとどまるだろう。

世の中には極上の標本しか集めない人がいる。そのコレクションは当然ながらすばらしい。しかしもし自分がそういうコレクションをもっていたとしたらどうだろう。たぶん息苦しくてやりきれないのではないか。濁った水にしか棲めない魚がいるように、私も下世話な環境でないと息がつけないのだ。

というわけで、たまの贅沢は、ともすれば惰性に流れがちな蒐集という趣味に活を入れてくれるスパイスのようなものだと思うことにしよう。